肘掛け椅子にゆったり座って、釣りにまつわる読書をしたり、釣り場や魚たちに思いをはせたり、お気に入りの道具を眺めたり……。雨の日など釣りに行けないときのそんな過ごし方を英国では「アームチェアフィッシング」と言うそうです。このコラムでは、つり人社の社員が「アームチェアフィッシング」の時間にオススメしたい愛読書を紹介します。
『イワナとヤマメ――渓魚の生態と釣り』/今西錦司
つり人編集部/佐藤俊輔
肘掛け椅子にゆったり座って、釣りにまつわる読書をしたり、釣り場や魚たちに思いをはせたり、お気に入りの道具を眺めたり……。雨の日など釣りに行けないときのそんな過ごし方を英国では「アームチェアフィッシング」と言うそうです。このコラムでは、つり人社の社員が「アームチェアフィッシング」の時間にオススメしたい愛読書を紹介します。◎今回の紹介者
つり人編集部/佐藤俊輔
1980年6月6日生まれ。神奈川県出身。映像系専門学校を卒業後、助監督として映画の現場を綱渡りしながら映画以上に釣りに熱中。2007年から月刊つり人編集部の一員になる。特に好きな釣りはアユ、磯、渓流。
カゲロウ研究からヤマメ・イワナ釣りへ
山々が新緑に染まる季節です。この時期の渓流釣りは実に爽やかで魚も活発にエサを追い、羽虫が飛び交うことから毛バリにも反応しやすくなります。私はエサ釣りが好きなので、釣りに行くとまず川虫採りからスタート。瀬の石をひっくり返せば多種多彩な虫が採れます。しかし渓魚が好んで食べる虫がいて、選り分けるといい虫ばかりは残りません。たくさん採っても一日みっちり釣りをすると、必ず足りなくなるのです。特にエサ持ちの悪い川虫が釣り人の間で「ヒラタ」と呼ばれるヒラタカゲロウの幼虫です。薄っぺらくて潰れやすく、足がすぐにもげてしまう。しかしこの虫は釣れるのです。ヤマメ、イワナにとってはお米みたいなエサでしょう。
さて、紹介する本は今西錦司著『イワナとヤマメ――渓魚の生態と釣り』。今西さん(1902~1992年)は釣り人としては無名です。が、登山・探検家、生物・生態・人類学者として、けた違いの業績を持つ人です。京都一中→三中→京大の名門コースを歩み、登山とフィールド・ワークに明け暮れ常に通説を打破しようとする論稿を発表してきました。その業績の基盤ともいえるのが生き物の「棲みわけ理論」です。
京都大学に在学中、今西さんはヒラタカゲロウの幼虫を研究していました。研究フィールドは京都の市街地を流れる加茂川(鴨川)です。京都盆地を貫流する鴨川はかつて、下流を賀茂川、上流部を加茂川と称していました。そして加茂川の“石という石を全部ひっくり返して”ヒラタカゲロウを採り、分類したというエピソードを持ちます。そして①流れが弱い所、②流れが少し速い所、③もっと流れが速い所、④流心部の流れの一番速い所という4ヵ所に、それぞれ形態や大きさの微妙に異なる4種類のヒラタカゲロウが「棲みわけ」をしていることを発見するのです。
やがて興味の対象はカゲロウの幼虫を食べて生活している渓流魚に移ります。本書[渓流・渓魚]の章の『ヤマメ釣り』で次のように書いています。
「私はそのころまで十年以上も、渓流の中にすむカゲロウの幼虫を研究していた。(ところが種々の事情から研究が困難になって)、カゲロウとは一応縁を切ったのであるけれども、それとともに渓流まで、縁を切ってしまうということが、どうしてもできなかった。/それでこんどは、カゲロウの幼虫のかわりに、それを食って生活している、渓流魚のヤマメを釣ることで、渓流とかかわり続けようと思ったのである」
ではなぜ、カゲロウと縁は切れても渓流と縁が切れなかったのでしょうか。今西さんは登山家として生涯に1500峰以上の頂上に立ったそうです。そして山の頂上を目指すだけでなく、横に広がるふところ、谷を流れる川も含めて山のすべてが興味の対象でした。そして谷に泳いでいるのがイワナ・ヤマメであったというわけです。
[イワナとヤマメ]の章は『日本のヤマメの戸籍しらべ』、『日本のイワナの戸籍しらべ」といった分類学的論稿です。魚の分類といえば鱗やヒレの軟条数などひとつひとつを数え、現代はDNAの配列によって分類する研究も進んでいます。しかし今西さんは目で見て分かる相違しか分類の基準にしません。論拠が明解です。しかも釣り人の立場に自分の学者的思考を加味し、フィールド体験からきた独特の直感に頼って書いています。渓流釣りファンであれば、「中国地方のイワナ探検」、「イワナ探検その後」などイワナのルーツをたどる論稿がとても生き生きとした文として読めるはずです。なにせ日本産イワナ生息地をくまなく釣り歩いているのです。そして各所に出てくるのが「棲みわけ」というキーワードです。
「イワナとヤマメは同じサケ科の魚で、同じような形をし、同じように渓流にすんで、同じ種類の食物を要求している。かれらはお互いにその生活様式がひじょうによく似ている。もしこれがまったく同じなら、混在してもよいことになるかもしれない。しかしよく似ているが、どこかちがうのである。/この両者は混在するかわりに、地域を棲みわけることによって、お互いの生活の安定を求めるようになる。これが生態学でいう棲みわけであって、その原因は環境的、生理的なものであるよりも、むしろ社会的、心理的なものであるとみなせばならない場合がすくなくない」
つまり自然界は弱肉強食・適者生存だけでは片付けられない摂理があることを今西さんは提唱します。この「棲みわけ理論」は、人間社会の誕生から文明、国家論にまで深化・応用されているのですが、きっかけは川底の石にしがみつくようにして生きるあのヒラタカゲロウの幼虫にあるのです。
本書には中国東北部の秘境・大興安嶺山脈での「大興安嶺釣日記」や、ヒマラヤに隣接する岩と氷の高峰群・カラコラム山脈の奥深くにサオを持って踏み入った「スノートラウト」、「ギルギットの鱒釣り」など、純粋無垢なトラウト釣りを果たした紀行文も掲載されています。情報の乏しい時代の秘境の世界に誘われ、釣り人ならではのヘマや見栄といった描写も交えた学術探検譚は味わい深くロマンがあります。
人類学まで言及した今西さんですが、本書でその片鱗が見えるのが[渓流・渓魚]の章の「ソフィスティケートされた未開人」です。その書き出しは釣りに対する思い入れの深さ、愛しさが表われています。
「サルはいろいろな点で人間に似ているが、またいろいろな点で人間とは異なっている。その異なる点を一つ。サルは魚をとることができない」。そして「どうだサルよ、まいったか」と学者らしくない愛嬌たっぷりの一文を付け加えるのです。
この書き出しから始まる内容は原始未開人の間で「魚釣り」はいかに発見されたのかがテーマ。釣り人として非常に興味のある内容でしょう。続きはぜひ本書を手に、川虫採り、ヤマメ釣りから始まる壮大な自然界の探検を楽しんでください。
『イワナとヤマメ――渓魚の生態と釣り』
文庫: 329ページ
出版社: 平凡社
発売日: 1996/2/13