ヒグマへの警戒感がかつてないほど高まっている。そうしたなか、釣り人を対象にしたクマセミナーが開かれた。釣り人がすべき心構えとは?
ヒグマへの警戒感がかつてないほど高まっている。そうしたなか、釣り人を対象にしたクマセミナーが開かれた。釣り人がすべき心構えとは?
クマ対策は今釣り人の必須基礎知識
昨年5月、幌加内町の朱鞠内湖で、ヒグマの襲撃による釣り人の死亡事故が発生した。釣りにおけるヒグマの事故例はこれまで、山菜採りなどと比べて少なめとされてきた。それだけに、釣り人の間では重く受け止められ、ヒグマとの遭遇への危機感がかつてないほど高まっている。
道内のヒグマの動向をみると、かつて行なわれていた『春グマ駆除』が1990年に廃止されて以降、個体数は明らかな増加傾向にある。近年の調査で、同年の推定生息数は5200頭だったが、2014年には1万500頭と倍増。その後も増え続け、2020年は1万1700頭と推定されている。
これを受け、昨年度から道の許可により市町村や狩猟関連団体が行なう『春季管理捕獲』が始まった。とはいえ、状況は急には変わらないと予想され、フィールドに身をおく釣り人は、ヒグマについて知識を持ち、高い警戒心を維持していくことが求められる。
そうしたなか、このほど旭川市内で、釣り人をメインの対象にしたクマセミナー『ヒグマ最前線~相手を知って身を守る~』が開かれた。(公財)日本釣振興会北海道地区支部と旭川市の共催。全道各地から約70人が集まり、ヒグマの基礎知識から最新事情まで、熱心に耳を傾けた。
どんなクマがなぜ?
講師を務めたのは『もりネット』代表、『ヒグマの会』副会長の山本牧さん。道や旭川市のヒグマ対策、朱鞠内湖の事故では関係者の要請を受け、現地の捜索やヒグマの捕獲に専門家として携わっている。
講演の冒頭、来場者に、釣りをするかしないか、ヒグマを見たことがあるかの2点をたずねた。すると、来場者71人中、42人が釣り人で、ヒグマの目撃については、56人もの手が挙がった。関心が高い釣り人が多かったとはいえ、ヒグマがかなり身近なものになっていることがうかがえる。
山本さんは、「出没というのはあまり好きな言葉ではないんです」と語り始めた。「ヒグマは出たり消えたり、わいて出るものではなく、クマなりの目的があって歩いている。たとえば、食べたい、怖いものから逃げたい、繁殖行動をしたいなど。クマ対策においては、その一連のものを理解すること、〝どんなクマがなぜ?〞を念頭におくことが重要になる」。
講演では、そのために役立つ基礎知識が紹介された。以下、その要旨を紹介する。
釣り人をメインの対象にしたヒグマのセミナーが開かれた。短めの告知期間、積雪期の開催だったが、全道各地から多くの釣り人が集まった
朱鞠内湖の事故について
朱鞠内湖の事故現場は、水際から背後の森まで100m近く距離がある、開けた空間だった。このため、バッタリ遭遇したわけではなく、クマの側から接近した可能性が高い。最初に襲われたと思われる現場から少し離れたネットが落ちていた。これらの状況から、ランディングの最中、しゃがんで夢中になっていたところを接近、クマに驚き、逃げた。その際、つい走ってしまい、それが次の攻撃を誘発してしまったと考えられる。
ではなぜクマは接近したのか?好奇心、エサに惹かれて、攻撃など、さまざまな理由が考えられる。朱鞠内湖の場合、マナーのよい釣り人が多く、ゴミが散乱する釣り場ではなく、生ゴミの可能性は低い。ただ、ウグイを陸に捨てるなどの行為が以前にあった可能性を指摘する声がある。そんな行為があれば、釣り人が来れば魚が置いてある、というふうに学習してしまう。リリースの失敗も同様、ヒグマの誘引につながりかねない。さらに、しゃがんでいる人間を積極的に襲った可能性もある(何のための攻撃?)。数日前、前年の秋にも、釣り人に接近するクマがいた。
現場付近にいたクマは、遺体のそばにあった足跡と個体のサイズが似ていたこと、現場に執着している、人を恐れないなどの行動から、問題のある個体と判断。赤外線カメラを積んだドローンで居場所を確認しつつ、ハンターに情報を伝えながら駆除に至った。ドローンを使った駆除はおそらく国内では初の事例。事故後の昨秋、命とフィールドを守る対策『朱鞠内湖ルール』が作られた。単独行動は原則禁止、必須の携行装備品(スマートフォン、撃退スプレー、発炎筒など)、カップラーメンを含む調理の禁止など。
出くわしたときのNG行為は3つ。走って逃げる、騒ぐ、荷物を残す。距離が離れていれば足早に離れてもよいし、「おーい」と声を出してもよいかもしれない。しかし、近い距離で大きな声を出せば、クマが興奮して攻撃的になってしまう恐れがある。基本的には騒がないと考えたほうがよい。荷物を残さないのは、自分を守るだけでなく、次に来た人を守るため。
朱鞠内湖で昨年5月、ヒグマによる釣り人の死亡事故が起きてしまった。釣り人の危機感はかつてないほど高まっている
人間の事情、ヒグマの変化
札幌市のヒグマの目撃情報を見ると、山すそに多い。目撃されるのは、若いクマと親子グマ。クマ社会では弱い立場のクマが多い。これは、安定したところには大型のオスグマがいて、人間よりおじさんグマのほうが怖い。それで山すそに住みついている。これが札幌の状況。
今、人とクマの距離感が非常に縮まっている。その理由のひとつは緩衝帯の喪失。農村が過疎高齢化で人が減っている。次に、捕獲圧の低下。クマを撃つハンターが少なくなっている。その結果として、警戒心が薄く能天気な、畑の作物に依存するクマが増えている。つまり、クマの数が増えただけでなく行動が変わり、その理由はクマの側ではなく、人間社会の変化にある。そこにクマが入り込んでいる。
クマの生息域の拡大には3つの段階がある。最初は、若いクマがうろちょろする。2番目は、オスグマがメスを捜し、用心深い大型のクマが歩き出す。第3段階になると、メスグマが定着し、子育てをし始める。札幌は第3段階まできている。これは特殊かつ危険な状態で、それなりの対策が必要。しかし、その対策を単純に全道に広げるのはクマにとって過剰な圧力になる。地域それぞれの状況をみて考える必要がある。
現在クマは、1990年から2倍ちょっとくらいになっている。でも実感は2倍どころではない。おそらく数が2倍、行動も2倍くらいおかしくなって、2×2で4倍くらい、とんでもないことが起きている。
ヒグマの食性、生きるカタチ
ヒグマはかつて、サケやエゾシカを自由に食べていたはず。それが食べられなくなって100年くらい経っている。エゾシカについてはかつて、「シカなんか見たことない」という時代があった。シカやサケという栄養価の高い越冬前の貴重な食料を食べられなくなったクマが生き延びたのは、野生動物界では希有なこと。そういう意味では、主要な食物の柱を2つ失っても生き延び、人間の弱みにつけ込んで繁栄しているヒグマは、なかなか手ごわい生きものといえる。
動物は頭蓋骨から生きるカタチ、つまり食性や行動が見えてくる。ヒグマの頭骨をみると、鼻面が長い。鼻が大きいというのがひとつのポイント。雑食で〝探す動物〞。学習能力と食べ物の柔軟性、記憶力をもつ。春は山菜、夏に穀物、秋に木の実、ときどきサケもいただいて……。その暮らしぶりや、臼歯をもっている点も人間に近い
匂いは食べ物を探すのに非常に大事。トウキビが熟れてきた、海岸にイルカが打ち上げられた、サケが上ってホッチャレになっているとか、それは、何kmも先から匂いが情報を運んでくれる。目や耳より鼻にたよることが、雑食の生活を支えている。そうした学習能力が今、畑荒らしにつながっている。
近年、冬眠しないクマ、シカを追うクマ、それに伴い、ここ10年くらい、銃声に近寄るクマが現われている。鉄砲の音は、自分をねらう危険な音ではなく、おいしいシカの切れ端を置いていってくれる音になっている。このため、爆竹を鳴らすと多分よってくる。
フィールドでの対応
ヒグマ事故の発生状況で多いのは、「狩猟・駆除」(41%)、「山菜きのこ採り」(38%)が多く、「山林作業」(8%)と続く。「釣り」と「登山」はそれぞれ3%と比較的少ない。釣りや登山は決まったところを歩くことが多く、ヒグマにすればある程度予測がつく。山菜採りにおける、ランダムに歩き、下を向いて地べたに集中しているような状態ではリスクが高い。
事故の際、複数と単独で、事故率と死亡率に大きな違いがある。単独だと事故率、死亡率とも高い。複数だと事故発生件数が少なく、死亡率も低い。これはヒグマへのアピール、お互いの助け合い、レスキューを行なえるため。朱鞠内湖で「単独行動は原則禁止」というローカルルールが設けられたのは、こうした理由による。
事故が起きたケースは、主に4つに分類される。最も多いのは「バッタリ遭遇」。山菜採りでヤブのなかを歩くときなど。釣りでも、渓流で釣り上がっているときなどはあるかもしれない。出遭ったとき、心の準備ができておらず思わず叫んだり、逃げたりすることで事故に繋がる。
2番目は「子グマを守る」という行動。これは非常に厄介。3番目は「好奇心で接近からの攻撃」。朱鞠内湖の事故は、これに近い状況だったのかもしれない。4番目は「積極的な攻撃」。ケースとしては、シカを埋めた土まんじゅうに近づくと、何もしていなくても攻撃を受けることがある。
臭い匂いがしたら行くのはやめておこうと考えたほうがよい。
いずれにしても、出会ってしまったときに刺激しない、つまり叫んだり走ったり、背中を見せたりしないで、ゆっくり離れるのがポイントになる。その際、撃退スプレーがあれば心の支えになり、逃げ出さないですむ。釣りザオを向けて距離を取るのもひとつの手段。
野外へ出るときは情報収集と共有、鳴り物(鈴やベル)を持つ、複数で行動する、ひょっとしたらいるかもしれない、そのときは走ってはいけないと自分に言い聞かせる心の準備が大事。
仲間がいれば手をつなぐとよい。これは仲間と守り合うため。相棒が逃げ出すのを防ぎ、人間が2人いるとクマには大きな生きものに見える。手をつないでいる状態での事故はほとんどない。
講演の最後を山本さんは、次のように結んだ。「野山に入る釣り人や登山者は、役所も守ってくれず、自分と仲間で守るのが基本。幸いクマはむやみに攻撃的な生きものではない。そのなかで、自分たちで距離を取るのが大事ではないかと思っています。
※このページは『North Angler’s 2024年6月号』を再編集したものです
つり人社のクマ関連書籍
『死ぬか生きるか 海・山・川 絶体絶命アウトドア体験談55』
海、山、川で、極限状況に陥った55の体験談を集めた書籍です。アウトドア活動をする際の危険に対する意識を高めるとともに、万一の事態に備えるための具体的な知恵を伝えています。
定価:1,650円(税込)
著者:つり人社書籍編集部 編
四六判並製352ページ
『人狩り熊 十和利山熊襲撃事件』
十和利山で発生した熊襲撃事件を詳細に追ったこの書籍は、人間と熊の衝突がどのようにして起こり得るのかを深く探ります。事件の背景や詳細な経緯を知ることで、クマとの遭遇がもたらす恐怖と、その対策の重要性を理解することができます。
定価:本体1,600円+税
著者:米田 一彦
四六判上製272P
『熊が人を襲うとき』
熊が人間を襲う際の心理や行動を分析し、遭遇時の適切な対応策を含む、クマに関する知識を深めるための一冊です。クマの生態を理解することで、遭遇時のリスクを減らす方法を知ることができます。
『熊!に出会った 襲われた』
シリーズの第一弾として、実際にクマと遭遇した人々の体験談を多数収録。この書籍では、突然のクマとの遭遇という緊急事態において、どのように行動すべきかを示す貴重な教訓を知ることができます。
定価:本体1,111円+税
著者:つり人社書籍編集部・編
B6判並製160P
『熊!に出会った 襲われた2』
この続編では、前作に引き続き、実際に熊と遭遇し襲われた人々の体験談が紹介されています。具体的なエピソードを通じて、クマとの遭遇がどのような状況で発生し得るのか、そしてどのように対処すべきかを学ぶことができます。