編集部2020年12月25日

つり人社・鈴木康友会長に聞く『釣りキチ三平』と矢口高雄、そして釣りと漫画と

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老若男女、釣りファンたちの永遠のバイブル『釣りキチ三平』でおなじみの漫画家矢口高雄先生が11月20日にお亡くなりになりました。そこで、先生と長年親しいお付き合いをされてきた㈱つり人社の鈴木康友会長に緊急インタビュー。『釣りキチ三平』制作秘話や先生のお人柄、業績などを数々のエピソードとともにうかがいました。


――矢口高雄先生追悼、緊急インタビュー

聞き手・構成◎世良康

老若男女、釣りファンたちの永遠のバイブル『釣りキチ三平』でおなじみの漫画家矢口高雄先生が11月20日にお亡くなりになりました。そこで、先生と長年親しいお付き合いをされてきた㈱つり人社の鈴木康友会長に緊急インタビュー。『釣りキチ三平』制作秘話や先生のお人柄、業績などを数々のエピソードとともにうかがいました。

※この記事は発売中の月刊『つり人』2021年2月号でも読むことができます。


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在りし日の矢口高雄先生。こちらは『釣人かく語りき』のインタビューにて笑顔で釣りについて、漫画について、青春時代について大いに語っていただいているときの一枚

◇「たわいのない釣り談義の中で、先生は僕の釣りのレベルを推し量っていたんだと思う」

世良 矢口先生がお亡くなりになったというニュースが流れて、釣り人の間では何か大きな標を喪ったような、哀しみの輪が広がっています。鈴木会長が矢口先生と初めて出会われたのはいつごろでしょうか?

鈴木 「週刊少年マガジン」に『釣りキチ三平』の連載が始まったのは1973年です。先生と出会ったのはその数ヵ月から1年後くらいでしょう。先生は僕よりちょうど10歳年上で30代半ば。僕は何も知らない20代半ばの若造でした。『釣りキチ三平』が始まって毎週楽しみに読んでいたんですが、釣りならこっちが本家ですから、「月刊つり人」にも何か連載していただこうと、先生のご自宅を訪問したのです。
しかし、その時ちゃんと原稿を依頼したのかどうか、どんな話をしたのか、曖昧模糊としているんです。ただ、非常に暖かくお迎えいただいたことは確かで、それから長いお付き合いが始まるわけです。

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45年以上の長く深い親交。お互いに記者と作家の境界を超えた人間的な関係になっていたという

世良 もう45年以上、50年近く昔のことですからね。気が付いたら、お互いに記者と作家の境界を超えた人間的な関係になっていたと。

鈴木 というか、当時の僕はまだ釣り記者としてペイペイで、釣りのことしか知らない、いわば井の中の蛙で、出版業界の常識とか、原稿料がいくらかとか、そういうことも考えずに、怖いもの知らずで矢口先生の所へ行ったはずです。先生は無鉄砲なヤツが来たなぐらいの感じだったと思いますよ。天下の講談社の爆発的に売れている週刊漫画誌の巻頭を飾るような人ですから、名もない弱小の釣り専門誌の若造なんかが原稿を頼めるような話じゃないんです。

世良 ちょっと調べてみますと面白いことがわかりました。というのは、少年マガジンでの『釣りキチ三平』の連載は1973年の6月に始まりますが、1ヵ月前の5月には、ちばてつやさんの『あしたのジョー』の連載が終了しているんですよ。さらにたどりますと、『あしたのジョー』が始まるのと同じ頃に、川崎のぼる画/梶原一騎原作『巨人の星』が終わっている。つまり、少年マガジンでは『巨人の星』(連載期間=1966~1968年)➡『あしたのジョー』(1968~1973年)➡『釣りキチ三平』(1973~1983年)という20年近くにわたる大きな流れが出来ている。

鈴木 そういうことですか。そういう大御所先生に無謀にも手ぶらで原稿を依頼に行ったわけなので、先生も返答に困ったと思いますよ。

世良 それがなぜ、生涯お付き合いするようになったのでしょうか?

鈴木 さっきも言ったように、僕は自分が無謀なことをしているということに気が付いていないものだから、その後もしばしば先生の家を訪ねていたんですよ。

世良 数撃ちゃ当たるとか、当たって砕けろという時代でしたからね。

鈴木 そういう風潮だったですね。そのうちにね、「鈴木さんさぁ、これどう思う?」と先生から相談を持ちかけられるようになったわけです。先生は、とくに釣りの、たとえばサオの握り方といった技術面や、リールなど釣り道具の描写など、あらゆることについて細部にまで正確さを求めるんです。丁寧に、しつこく調べ上げて、それでも疑問があると、その道の専門家に確認を取るほどなんです。
そういう先生に相談を持ちかけられたということは、僕は若造ではあっても、一応釣り専門誌の記者ですから、釣りの知識や情報にかけては長けていると先生に認められたということなんですね。たわいのない釣り談義の中で、先生は僕の釣りのレベルを推し量っていたんだと思うんです。

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矢口先生との思い出は楽しいことばかりだから終始こんな笑顔でインタビューが進んだ(2020年12月1日つり人社会議室にて)

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会議室には矢口先生による月刊つり人創刊70周年記念の色紙が飾られている

◇先生はそれまで経験したことのない釣りでもちゃんと体験し、ストーリーを作って、エピソード満載の楽しい漫画に仕上げられる

世良 たとえば、どんな相談を持ちかけられるんですか?

鈴木 いろいろありましたが、この釣りの仕掛けはこれでいいのかとか、もっと面白い釣りはないのかとか、こんな釣りの話を描きたいが詳しい人はいないかなどです。先生はもともと秋田の山奥に育った人なので、『釣りキチ三平』を描く前は渓流釣りとアユ釣り、それに上京して住んでいた矢口渡駅(東急多摩川線)の近くにあったヘラブナ釣り場での釣りぐらいしか経験がなかったのです。

世良 それにしては、ムツゴロウ釣りや大洋のマーリン釣りなどものすごくリアルに描かれています。

鈴木 そこが先生の偉大なところでしょう。経験がないから描けないでは、釣りキチ三平はいずれ立ち行かなくなる。釣りのジャンルは広大でしかも1つ1つの釣り、たとえばフナ釣り1つにしても奥が深く幅も広いですから、自分一人ではとうてい太刀打ちできません。そこで、それぞれの専門家に教えを請うたり、また実際に現地に調査・取材に出かけたり、もちろん本や図鑑などでの研究も怠りません。『釣りキチ三平』は週刊連載で、1回20ページ。ほかにも連載など掛け持ちの仕事はたくさんある。そういう多忙の中でね、たとえば北海道に「イトウ」というとんでもない魚がいるようだけど、だれか詳しい人はいないかなといった相談を受けるわけですよ。

世良 三平君はイトウ釣りに挑戦していますよね。

鈴木 先生が言うんですよ、「三平にイトウを釣らせたいけど、どうすればいいかな?」と。イトウというのは昔は本当に生息数が少なくて幻の魚と言われていた夢の釣魚。成長すると1mにもなり、アイヌの伝説で「水を飲みに来た子犬がひと飲みにされた」とか「シカが引っ張り込まれた」という話がそこら中に伝わっていた。先生はこれを漫画にしたいというのです。そこで僕はすぐに、つり人社の北海道支社の編集員や釣りクラブの人たちを紹介してね、それで取材を兼ねた釣りに行かれたんですよ。
 このように、先生はそれまで経験したことのない釣りでもちゃんと体験し、ストーリーを作って、エピソード満載の楽しい漫画に仕上げられる。リールやサオにしても、克明に描写しますから真実味もたっぷり。ところが、ただリアルなだけではストーリー的に物足りない場合がありますよね。それで、「何か変わったものをやりたいなあ」というので、僕は渋谷のサンスイ(釣具店)へ先生をお連れしたんです。すると、たまたまですが、リールとサオが一体化した「ガルシア・ミッチェル2in1」という珍しいサオがあって、先生はこれを購入してアトリエで、縦・横・斜めのいろんな角度からデッサンされるんです。好奇心も相当な方ですよ。

世良 その好奇心で、次々に釣りのジャンルに挑戦し、『釣りキチ三平』の中でその楽しさを紹介されました

鈴木 三平君に釣りの楽しさを教わり、釣りにハマったという人は本当に多いですよ。僕らは、そのお手伝いをさせてもらったということですね。たとえば、「ハワイに行こうと思うんだけど、面白い釣りはない?」と言われると、「コナでは世界的に有名なビルフィッシュ(カジキ)のトローリングトーナメントがあり、世界中からビッグゲームアングラーたちが自慢のボートに乗ってやってきます」と。また、「カナダのアラスカでキングサーモンを」と言われれば、そこにはこういう釣りガイドがいて、こんな宿があってなどと情報を提供するわけです。

世良 鈴木さんは学生時代に英国留学の経験もあり、つり人社に入ってからも海外の釣り取材経験が豊富で、先生からも何かと頼りにされていたわけですね。

鈴木 国内外を問わず、いろんな相談を受けている中で、『釣りキチ三平』は大ヒットし、釣り好きたちのバイブルとまで言われるようになりました。そして、「月刊つり人」に『釣れづれの記』という画入りエッセーの連載をしてもらえるようになったのは1975年11月号からでした。

世良 最初に会いに出かけて、2年近くかかっていますね。原稿料は、やっぱりかなり高額……。

鈴木 いえいえ、先生はそういうことは一切何もおっしゃいませんでした。こちらの窮状がわかっているので暗黙の了解というか、大変助かりました。


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拙書『釣人かく語りき』(つり人社刊)にもご登場いただいた。漫画への愛情を余すところなく語っていただいた

◇「漫画は今や日本を代表する文化の一つとして、世界で評価されています。矢口先生がこの功労者の1人であることは言うまでもありません」

鈴木 こうして先生と親しくさせていただくうちに、先生が講談社の漫画賞を獲ったり、連載何十周年記念とか、還暦の祝いなどいろんなパーティーに招(※ルビ=よ)ばれて、僕はそういう集まりには欠かさず出席していました。すると、講談社の人とか小学館の人とかと話す機会もあって、後年、先生の原稿料というのも大体わかってきました。こんなことを言っていいかどうかわかりませんが、先生の『釣りキチ三平』連載当初は1ページ数千円だったようです。それがとんとん拍子どころか2段跳び、3段跳びの勢いで、1万円、数万円……とどんどん上昇していったんですね。駆け出しの僕が最初に会いに行ったのは数万円の頃だと思うんです。そんな時に、話にならないようなつり人社の安い稿料で「原稿描いてくれ」って、本当に今考えても冷や汗が出ます。
 そういえば、開高健さんとお酒の席で同席したことがあって、酔った勢いで「先生、ちょっとうちにも原稿書いてくださいよ」と無理を承知で頼んだことがあるんです。そしたら、「お前んとこの雑誌は、わしみたいな釣りの素人が書くようなところじゃないやろ」とうまくかわされましてね。それでも食い下がっていると、「お前の会社じゃあ、わしの原稿料は払えんだろう!」と、とうとう本音を――。
 ただ、矢口先生は原稿料のことは何も言わず、1回も休まず確か176回までいったと思いますが、締め切りもしっかり守られました。

世良 矢口先生は、自分のためというより漫画の評価の向上というか、漫画界のためになるなら稿料はどうでもいいというような方でしたからね。学校の教科書に先生のエッセーが載るというので感激し、オリジナルの絵を描いてその教科書に無償掲載されたとも聞きます。漫画が、教科書に載るほど世の中に認められてきたことが嬉しかったのです。

鈴木 それはやっぱり、子供の頃、町の本屋さんまで3時間、雪の日には5時間かけて買いに行くほど漫画が好きでも、親には「漫画なんか」と叱られて本当に口惜しい思いをされてきたんだと思います。銀行でも、家で漫画を描く暇があるなら金融の勉強をしろと。小説が良くて、なぜ漫画が悪いのかという疑問。矢口先生は早くから漫画の持つ可能性、ポテンシャルに気付かれていたわけです。その漫画は、今や日本を代表する文化の一つとして、世界で高く評価されています。矢口先生がこの功労者の1人であることは言うまでもありません。

世良 矢口先生は、貧しい中で高校を卒業して銀行員になり、結婚して2人の子供まで授かって、はた目から見れば幸せ満開という30歳になって、突然銀行を辞め、家族を残して漫画家になるために上京するといういばらの道を選ばれました。この無謀な勇気の源は何だったのでしょうか?

鈴木 先生からそのことをじかに聞いたことはありませんが、先生の奥様からそれに関連するようなことを聞きました。どういうことかというと、当時の東京には手塚治虫先生の影響下、白戸三平さんのような新しい才能が活躍し、さらに石ノ森章太郎さんを筆頭にしたトキワ荘の漫画家など、若い人がどんどん飛び出してきた。それを、秋田の田舎から眺めていると、いても立ってもいられないわけですよ。
 子供の頃から好きな漫画を描いてきて、だれも認めてくれないどころか俗悪だとばかにさえされる。だけど今、東京には漫画を認め、正当に評価してくれる土壌がある。もっと耕せばさらに豊かな土壌になる。彼らと一緒に漫画の土壌づくりをしたいという、強烈な欲求が芽生えたんだと思うんです。また才能的にも、『月刊ガロ』に投稿漫画が載って、機が熟していたともいえるでしょう。
 奥さんと子供を残してまでというけれど、奥さんはむしろそういう矢口先生を応援していたんです。奥さんもすごい人ですよね。普通なら、何を好んでいばらの道に踏み出すのか、泣いてでも引き留めるでしょう。奥さんも、矢口先生の漫画に対する夢を共有されていたんだと思います。

◇「油絵は何百年も残るけど、漫画は水彩や墨汁で描いているから消えてしまうんだ」

世良 そうした矢口先生のロマンが、故郷にオープンした「横手市増田まんが美術館」に集約し、実現されたわけですね。

鈴木 これはもともと「矢口高雄記念館」という名前だったと聞いています。矢口先生個人の業績を振り返り、たたえる内容。しかしそれでは、自分だけのもので発展性がないと先生ご自身がダメだしされて、「まんが博物館」となり、手塚先生や白土先生など有名な作家の原画も集められています。
 先生は昔から、油絵は何百年も残るけど、漫画は水彩や墨汁で描いているから消えてしまうんだと嘆いていました。手塚先生の素晴らしい絵が消えていくなんて、大きな損失だと。それでこの博物館は、保存に関しては現在考えられる最高の技術と設備を有しています。矢口先生の原画のすべてはここで1枚1枚保存されます。世界最高の技術で完璧な真空のシールドにされて。さらに、デジタル保存もされ、これは貸し出し用などに使われるのです。もちろん、手塚先生や白土先生たちや、その後に輩出し、またこれから出て来るであろう漫画家たちの作品も同様に保存されるわけです。

世良 そういう意味では、30歳にして上京して50年以上が経って、「漫画を世界の芸術へ」という先生の壮大な夢は着々と実現へ近づいています。

鈴木 まだ夢の途中であるけれど、矢口先生の偉業は後世に記憶されるでしょう。「漫画を読むとばかになる」とまで言われた時代から見ると、隔世の感があります。『鬼滅の刃』のヒットがトップニュースになるなど、漫画がやっと正当に評価される時代になったわけです。漫画の価値の向上ということに対する矢口先生の貢献は、非常に大きなものがあると思います


◇「先生、なんで鈴木さんだけ実名で登場なんですか?」

世良 最後になりますが、『釣りキチ三平』のさまざまな話の中で、鈴木会長が一番好きな話は?

鈴木 それは「呪い浮子」ですね。ヘラブナ釣りで、あるウキを使うとすごく釣れるんだけど、使った人は次々死んでいくというストーリー。その真相を追う記者役として、僕が実名で登場するんですよ。「株式会社つり人社 鈴木康友」の名刺も出てくるんです。まだ新人時代で何の肩書もない名刺。
その話を描くために、当時渋谷にあったつり人社に先生自らポラロイドカメラを持って来られて、パチパチ写真を撮りまくられ、実際に当時の小口社長や楠山編集長、それに若杉や三浦といった若手たちも登場するんですよ。
 これは余談ですけど、社長や社員はみんな特徴をよくとらえた似顔絵で登場しますが、僕だけキリリとした超二枚目に描かれている。それで、釣具屋さんの人も三平の大ファンが多いんで、全国の釣り場のどこの釣具屋さんで挨拶しても僕の差し出した名刺を見て、僕の顔と名刺を見比べて困惑したような顔で、「えっ、マンガの顔はカッコいいんだけどなあ」って。

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自身、最も好きな話として挙げた「呪い浮子」。その真相を追う記者役として、「株式会社つり人社 鈴木康友」が実名で、なおかつ超二枚目で登場する

世良 鈴木会長とつり人社が登場しているシーンは、三平ファンには有名ですよ。

鈴木 実は、それを見てつり人社という会社に憧れて、実際につり人社に就職した社員もいるんですよ。それほどインパクトがあった。10年間にわたる『釣りキチ三平』の連載の中でさまざまな人物が登場しますが、実在する人物が実名で登場する設定というのは、実はこの場面だけなんですよ。
 それで京都で先生と私のトークショーがあって、新聞記者が「先生、なんで鈴木さんだけ実名で登場なんですか?」と聞いたんですね。彼は私の知り合いで、三平ファン。その時先生はこうお答えになった。「釣りで事件があって、それを取材する記者という設定をずっと考えていた。その時、いつもそばに鈴木さんがいたのに気が付いて、それでこうなったんだ」と。この章は連載が終了する頃で、僕は「釣りキチ三平」という人気漫画の最後まで先生のお役に立てたことに、密かに誇りを感じているんです。

世良 それほど親しく、気軽で、それでいてお互いに信頼し合う関係であったということですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。

鈴木 最後に、みんなで矢口高雄先生のご冥福をお祈りしましょう。合掌。

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闘病中もスケッチブックにペンで三平くんを描き続けたという。独特かつ芸術的なタッチは最後まで健在だった

釣りキチ三平を大特集した『Basser』(2006年6月号)と『自選 釣れづれの記』、『続 釣れづれの記』をデジタルで復刻!

11月20日に亡くなった、日本の漫画界の巨匠・矢口高雄先生の死を悼み、その功績を振り返る意味で、『釣りキチ三平』を総力特集した『Basser』を、デジタル版で特別復刻販売します。一部、悪ノリした記事もありますが、在りし日の矢口先生は大笑いしながら読んでくださいました。

『Basser』(2006年6月号電子版)

巻頭から68ページまでにわたり『釣りキチ三平』を大特集。関和学さんらが参加した座談会をはじめ、矢口先生へのインタビューや先生のタックルボックス拝見など総力を挙げて取材。弊社編集部の三平愛が爆発した内容となっています。

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また、本誌つり人で昭和50年(1975年)11月号から平成2年(1990年)8月号まで約15年、176回にわたって連載した「釣りキチ三平・釣れづれの記」のうち昭和60年以降の60作品から24編を収録した『自選 釣れつれの記』と前作収録を除く21編を収録した『続 釣れづれの記』もKindle版で復刻販売が始まっています。
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