編集部2020年5月10日

不世出のウルトラ・ロングセラー/アームチェアフィッシングの部屋 第31回

月刊つり人ブログ アームチェアフィッシングの部屋

肘掛け椅子にゆったり座って、釣りにまつわる読書をしたり、釣り場や魚たちに思いをはせたり、お気に入りの道具を眺めたり……。雨の日など釣りに行けないときのそんな過ごし方を英国では「アームチェアフィッシング」と言うそうです。このコラムでは、つり人社の社員が「アームチェアフィッシング」の時間にオススメしたい愛読書を紹介します。


『フライフィッシング教書 初心者から上級者までの戦略と詐術のために』/シェリダン・アンダーソン 田渕義雄 共著

小野 弘(つり人社・月刊『つり人』編集部)

肘掛け椅子にゆったり座って、釣りにまつわる読書をしたり、釣り場や魚たちに思いをはせたり、お気に入りの道具を眺めたり……。雨の日など釣りに行けないときのそんな過ごし方を英国では「アームチェアフィッシング」と言うそうです。このコラムでは、つり人社の社員が「アームチェアフィッシング」の時間にオススメしたい愛読書を紹介します。
 
◎今回の紹介者
小野 弘(つり人社・月刊『つり人』編集部)

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1965年生まれ。1988年から「つり人社」でアルバイトとして働き始め、翌年編集部社員として採用。『FlyFisher』3代目編集長を務め、現在は単行本の編集を担当。



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昭和-平成-令和の読者に読み継がれる特別な一冊

 今年1月30日、本書の著者、田渕義雄さんが永眠された。享年75歳。それは、ぼくにとって突然の訃報であり、一度も生前お目にかかれないまま、永遠にその機会を失ったことを意味するものだった。今回は、天国のカーティス・クリークに旅立った一人のリバー・スミス(フライフィッシャー)の魂にこの小文を捧げます。

 釣りの本の寿命は短い。今まで約20年、二百数十冊の単行本の編集にかかわってきた者としての実感だ。そんななかで、ただ一冊、奇跡の記録を打ち立てている本がある。田渕義雄さんの『フライフィッシング教書』。本書は1979(昭和54)年の初版発行から41年を経た今なお、文庫化も再編集もされることもなく、当時と同じ体裁で新刊書店の書棚に並ぶ。それはぼくに、天の北極付近で輝き続ける北極星を連想させる。
 これがどんなにすごいことか、同年のベストセラーと比較してみる。上位ランキングはこうだ。1位『算命占星学入門』(和泉宗章)、2位『天中殺入門』(和泉宗章)、3位『指導の泉』(和泉覚)、4位『サザエさんのうちあけ話』(長谷川町子)、5位『私の個人指導』(辻武寿)、6位『四季・奈津子』(五木寛之)、7位『ジャパン アズ ナンバーワン』(エズラ・ヴォーゲル)……(以上、「日本著者販促センター」より)。
 上記7冊で、『フライフィッシング教書』と同じ運命をたどることができた本は1冊もない。一方、『フライフィッシング教書』は、ぼくの知る限りでは現在33刷(!)を数える。重版の記録もすさまじいが、それより何よりもすごいのは、40年以上も出版が続いているという驚異的な事実だ。
 カバーに描かれた、口に毛バリをいくつもぶら下げた人相というか魚相の悪い歴戦の兵(つわもの)マスが言う。「この本が、あんまり売れないように祈ろう!!」と。しかし、その願いは完膚なきまでに打ち砕かれている。


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『フライフィッシング教書』版元の晶文社さんは、当時のサブカルチャーを支え、発展させる良書を数多く出版されてきた。長年にわたる本書の販売に心から敬意を表したい。写真は、これも同社のもので、昭和を代表するサブカルチャーの騎手のひとりだった植草甚一さんの作品。スマホよりひとまわり大きなくらいの、とってもチャーミングな冊子

 初心者から上級者までの戦略と詐術のための本書は、三部構成からなる。Part:1=「カーティス・クリーク宣言書 渓流におけるフライフィッシングの実践的兵法の書」を担うのは、第1回で取り上げた怪人イラストレーター、シェリダン・アンダーソンだ。アメリカンコミック・タッチのシェリダンの絵は眺めているだけで楽しく、またシェリダン自身もフライフィッシャーであることから、釣り教書のイラストとして、実に的を射たものとなっている。その英文翻訳と、Part:2=「日本のカーティス・クリークのために わが心の川と湖のフライフィッシング」、Part:3=「わがカーティス・クリークのほとりで」を田渕義雄さんが担当している。カーティス・クリークとは、本書によれば、「自分にとって大切な誰にも教えない秘密の川、心の川」とある。これを額面どおりに受け止めるのはヤボで、自分の魂を自由に遊ばせることのできる川のことだと、ぼくは思っている。

「教書」である本書には、フライフィッシングのハウ・ツーが分かりやすくまとめられている。また、後半には田渕さんのカーティス・クリークの思い出も綴られる。ぼくはその最後に登場する、今はない国、ユーゴスラビアのガツカ・リバーを巡る旅の話が大好きで、何百回その頁を開いたか分からない。そこに添えられた写真-自然と人、魚、そしてシトロエン-も現地の(今となっては時代の)雰囲気をよく伝えている。
 41年も前の本だから、消滅してしまったユーゴスラビアの国名のように、田渕さんのカーティス・クリークも現在では大きく変わったし、ハウ・ツーに関してはなおさらだ。フライフィッシングは、他の釣りに比べれば相当に保守的なジャンルだが、やはり多少の時代感は否めない。それでもベイシックな部分は今でもしっかりと通用するし、これはほかの釣りジャンルの本に当てはめて考えるとすぐにわかるが、本当に希なことだ。


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Partt:3「わがカーティス・クリークのほとりで」“湿原のブルック・ランド”に登場する日光湯川のブルック・トラウト

 最後に、ぼくがここで本書を紹介したもうひとつの理由に触れておきたい。日本のフライフィッシング界にかかわる人たちの多くは、これほどまでに長い間読者に読み継がれてきた本書に対して、ほとんど評価らしい評価をしてこなかったと思う。そのことに対する寂しい気持ちがずっとあった。田渕さんが、いわゆる釣り業界の人ではなかったことも関係していたのかもしれない。しかし、釣りの出版社で編集者として30数年間働いてきて、田渕さんや本書の名前に接する機会は、あまりに少なすぎた。こんなに素敵な本なのにな、と思う。その一方で『フライフィッシング教書』は、長命さにおいてあらゆる釣りの本を凌駕し、今でも、少しずつでもあるけれども、新しい読者を獲得し続けている。
 著者がこの世を去っても、本の輝きは失われていない。それはユニークでやさしく、温かな輝きだ。

『フライフィッシング教書 初心者から上級者までの戦略と詐術のために』
単行本: 227ページ
出版社: 晶文社
発売日: 1979/2/1

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    列島をゆるがすコロナウイルス。けれども、日増しに暖かくなる春の日を、じっと家にこもって過ごすのはやっぱり体によくない。その点、手軽な海の釣りは、風も気持ちよく、大人も子どもも、思い切り深呼吸しながら時間を過ごせる。ウミタナゴ、メジナ、クロダイ、カレイ、アオリイカ、カサゴ……。元気な魚たちが泳ぐフィールドで、がんばろう、ニッポン! そのほか、3名手の渓流解禁レポート、里川で見つかる美味しい道草、みちのくタナゴ旅など旬の釣り満載でお届け。