『RIVER CAMP』著者の浦壮一郎さんが同書に書き下ろした、渓流釣りができる川を末永く残していくための考え方をシェアします。
源流の自然は本来の姿なのか
解説・写真◎浦壮一郎
「ゆるくない釣りキャンプ入門」として、渓流釣りと渓流キャンプの魅力を紹介しているムック『RIVER CAMP』が好評発売中です。著者は月刊『つり人』や別冊『渓流』雑誌『フライフィッシャー』などで環境問題を考えるレポートを数多く執筆してきたジャーナリストの浦壮一郎さんです。この記事では、浦さんが同書に書き下ろした、渓流釣りができる川を末永く残していくための考え方をシェアします。
この記事は『RIVER CAMP』に掲載したものを再編集しています
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源流の自然は本来の姿なのか
本来の川の姿、それを理解するうえで源流釣行はおすすめである。人為的に管理された中下流部とは対照的に、原生的自然が唯一残っている地域でもあるからだ。本物の自然を見ずに川本来の姿を語ることはできない。川を語るなら源流に行くべきなのだ。
もちろん川を遊びたおすといっても、マナーとモラルは守らなければならない。わざわざ書き加えるまでもないがゴミを持ち帰るのが当たり前。イワナをキープする場合も渓泊まりで食べる分だけにとどめたい。また種沢になりそうな小さな支流でのキープは慎みたいところである。
源流域は本当にイワナだけの楽園だったのだろうか。古人の言い伝えには『マス留めの滝』または『マス留めの渕』などと呼ばれていた場所がある。実は我々が野営するテント場のすぐそばまでサクラマスがソ上していたのではないか。その光景こそが本来の渓の姿だったのかもしれない
特に近年は源流域であっても絶滅リスクは高まっていると危惧する研究者もいる。その要因は温暖化にあるという。
かつては9月末ともなれば台風の発生は落ち着いていたものの、近年は10月に入っても台風が上陸するようになった。これが11月に入ってからも……となればイワナの産卵後に大増水が押し寄せることになり、最悪の事態も想定されるという。そうした意味で、川本来の姿が残る源流域とはいえ、少しずつ姿を変えている可能性も否定できないわけだ。
また、ひと言で本来の姿といってもどこまで時代を遡るのかで判断が異なってくる。一応は現在も原生的自然を維持している源流域ながら、下流にダムがなかった時代と現在とで差異はないのか。そこまで考察すると古来の姿そのままとはいえないのではないか、そんな疑義が生じてしまう。
たとえば古人らが『マス留めの滝』または『マス留めの渕』などと呼んでいた場所が源流域にあるのだが、その呼び名はかつてサクラマスがソ上していたことを示している。源流を訪れる我々はそこがイワナの聖域だと決めつけてしまうが、もしかするとサクラマスがその場所で産卵していたかもしれない。周辺はヤマメとイワナが混生するエリアだった可能性もあるわけだ。
サクラマスのような海からソ上してくる魚は森に海の栄養素を届けていることが分かっている。であるなら、かつてサクラマスが到達していた源流域は今以上に豊かな森、豊かな流れだったのではないだろうか。
現在、原生林が育むその源流部にまでサクラマスがソ上する川は筆者が知る限り存在しない。単に川の源流付近にまでソ上するだけなら北海道にあるだろうが、その森が原生林であるかといえば、そうではない。ひとつでもそんな川が残っていてくれれば……と思うのだが、時すでに遅しである。
となれば想像力を働かせるほかない。源流におもむいた際、テント場のすぐ脇の流れに大きなサクラマスが悠然と泳ぐ姿を思い描くのだ。すると、あるべき川の姿がおぼろげにでも見えてくる。こうして脳裏に浮かんだ川、それこそが次世代に残すべき川の姿なのだろう。古人の記憶、そして現代人の想像力の中にこそ、復元すべき本来の渓が流れているのである。
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