全国各地のタナゴを釣り歩いてきた熊谷正裕さんの人生には、タナゴ釣りの歴史の一端が見える。豊かだった釣り場のこと、感銘を受けた名手の釣り、そして豊かな多様性をもつタナゴの生態まで、現在に至るタナゴ釣りの思いを振り返っていただいた。
田端駅の車両基地の前でタナゴが釣れた
文と写真=編集部
全国各地のタナゴを釣り歩いてきた熊谷正裕さんの人生には、タナゴ釣りの歴史の一端が見える。豊かだった釣り場のこと、感銘を受けた名手の釣り、そして豊かな多様性をもつタナゴの生態まで、現在に至るタナゴ釣りの思いを振り返っていただいた。
目次
- 第1回:田端駅の車両基地の前でタナゴが釣れた
- 第2回:土浦駅の裏でアカヒレタビラが釣れた
- 第3回:タナゴ旅の始まり。
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くまがい・まさひろ
1964年・東京都北区生まれ。全国の名もない水路や小川を旅して在来タナゴを釣り歩いた本『タナゴ釣り紀行』の筆者のひとり。近著は『日本のタナゴ』山と渓谷社刊 (2020年発行)で「タナゴ釣りの文化」を分担執筆
田端駅の車両基地の前でタナゴが釣れた
――タナゴを初めて釣ったのは何歳の頃ですか?
熊谷 釣りを始めたのは小学校2、3年生の時で70年代初頭です。僕は今も昔も北区の上中里に住んでいて、一番身近だった釣り場は田端駅のすぐ側。機関車の車両基地があったんですが、その前には水路があって地元の人がズラッと並んでサオをだしていました。水もきれいで水草も生えていて、いま思えば湧水だったのかもしれません。そこでフナやクチボソが釣れて、オカメ(タイリクバラタナゴ)が混じったんです。それから浮間公園や水元公園にも友達と自転車で行きました。
1975年11月2日、熊谷さん11歳の時の釣り日誌には桜川中流域のタナゴ釣りのレポートがある
子どもの頃は都内各所に釣り会がたくさんあって、地元にも2つの釣り会がありました。僕が住んでいる場所は「滝野川」と呼ばれるエリアで、友達の親父さんが「滝野川恵比寿会」という釣り会に入っていた。タナゴやヤマベを得意とする名人もいて、その例会に連れて行ってもらったのが、タナゴ釣りを本格的にやるようになったきっかけです。印旛沼や手賀沼もタナゴ釣り場として有名でしたが、やっぱり霞ヶ浦が大きなフィールドで、当時はたくさんのマタナゴ(在来タナゴの総称)がいました。ヤリタナゴ、アカヒレタビラ、タナゴが群れなしていましたよ。
――子どもの頃から月刊つり人が愛読書だったそうですね。小学生の頃、印象に残っている記事はなんでしょう?
熊谷 11~2月の冬に出る号がタナゴの記事が多くて好きでした。特に宇留間鳴竿さんの記事は熟読しました。ほかにも小日向巌さん、武居清彦さん、吉田喜一さんといったタナ研(東京たなご釣研究会)の名手の記事があればよく読んでいました。テクニック記事や釣り場紹介の記事も大好きでしたが、タナゴそのものに興味を持ったのは「魚の博物誌」という連載です。『日本のコイ科魚類』という本をまとめた中村守純さんの連載が大好きで、タナゴだけでなく、いろんな魚を紹介していた。カゼトゲタナゴとかイタセンパラと全国のタナゴが登場して、琵琶湖や九州のタナゴが載っていると、切り抜いて部屋の壁に貼っていました(笑)。あとは服部善郎さんや松田年雄さんが書いた釣りの入門書もよく読みました。当時は小学館から入門百科シリーズというのが出ていたし、漫画の入門書も多かったんです。
小学校低学年のころから熱心に読んだ宇留間鳴竿さんの記事。つり人1969年1月号
――現在のご自宅でもさまざまなタナゴを飼育されていますが、小学生の頃から魚を飼うことが好きだったのですか?
熊谷 釣りを始めたのと同じタイミングで飼育も始めました。学校では飼育委員(笑)。「ペリカンビク」という透明のビニールバケツが愛用品で釣りに行ったら必ず生かして持って帰って。クチボソなどの小魚を60cmのステンレス水槽に入れて飼っていました。
熊谷さんの自宅にはタナゴの飼育部屋があり全国各地のタナゴ類が水槽を泳いでいる。婚姻色の出る季節には水槽撮影をするのも趣味のひとつ
小学生のころに熟読した単行本各種
宇留間さん著『新技法によるタナゴ釣り』、タナ研こと東京たなご釣研究会編著『タナゴ釣り場集』
小社の釣り場ガイドも熟読。小谷鮒夫さんという筆者が好きだった
児童向けの釣り入門書が70年代は数多く出版されていた
こちらの記事は『つり人』 2022年2月号に掲載したものをオンライン版として特別公開しています!