化学物質を嗅板に届ける媒体は水の流れであり、極論すれば潮の流れがクロダイの捕食行動を誘発すると言ってもよいだろう。クロダイは上げ七分、下げ三分を釣れとの金言は、まさにこの事を言い当てている。上げ下げの潮が効いている時間帯にクロダイが口を使うことが、経験を通じて古くから知られていたのであろう。
生態学から考察する釣るためのヒント
文◎工藤孝浩(神奈川県水産技術センター内水面試験場) 写真◎工藤孝浩・編集部
10年前と比べ現在の東京湾にはクロダイが急増している。クロダイによく似たキビレもまた、明らかに勢力を拡大中だ。大都会の海で何が起きているのか? その不思議に迫る。
この記事は月刊『つり人』2021年8月号に掲載したものを再編集しています
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目次
第1回
第2回
第3回
嗅覚に優れるが視力は並み
クロダイに見切られることを懸念してむやみにハリスを落とす。これは誰もが陥りがちな罠で、私も陥ったクチである。だが近年の研究は、示唆に富む結果を導き出している。
多毛類の体液はクロダイの嗅覚を強く刺激する
成長が早く生物量が多いイガイ類はクロダイの主食である
まず、網膜上にある視覚のセンサーである錐体細胞の密度から魚類の視力が推定可能となったのだ。デジカメの画素数を比較するような手法で、クロダイの視力は0.14と推定された。多くの魚類の視力は0.1~0.2の範囲にあり、クロダイの視力はよくも悪くもない。
また、角膜から水晶体を通って錐体細胞が集中する網膜中央部に入る直線を視軸と言い、その方向を見るとき最大視力が発揮される。クロダイではこれが斜め下方に傾いていることが分かった。つまり、眼のつくりから、海底のものはよく見えるが上から落下するものははっきり見えていないと推定される。
また、クロダイは4色型の色覚をもつ。ヒトは3色型の色覚をもち、赤・緑・青の光の三原色の混合でつくられた色が見えるが、クロダイはそれらに加えて紫外線も見えるのだ。一体どんな色彩世界に暮らしているのだろうか?一度クロダイの身になって、水中や仕掛けを見てみたいものだ。
一方、嗅覚の研究は電気生理学的な手法により進展し、クロダイが優れた嗅覚をもつことが明らかになった。具体的には、競泳用プール(50×20×2m)に溶かしたスプーン1杯のアミノ酸(グルタミン)を感知することができるという。
また、鼻孔の中に並ぶ嗅覚のセンサーである嗅板の数は55~60枚で、メジナ24枚、イシダイ25枚、ヒラメ20枚、マアジ42枚などと比べてかなり多い。クロダイを超える嗅板を持つものはそう多くなく、ナマズ70枚、ウナギ110枚など夜のハンターたちが顔をそろえる。
キビレの視覚や嗅覚に関する情報を私は持ち得ていないが、クロダイと同等なものではないかと考えている。
釣れる時合の考察
このように各感覚器官の機能が次々と明らかになるにつれ、クロダイの摂餌意欲を最も刺激するものは臭いなのではないかとの考えを強くする。
臭いの元は水溶性の化学物質で、これが鼻孔を通り嗅板に到達することでエサの存在が感知され、捕食行動を起こさせる。化学物質を嗅板に届ける媒体は水の流れであり、極論すれば潮の流れがクロダイの捕食行動を誘発すると言ってもよいだろう。クロダイは上げ七分、下げ三分を釣れとの金言は、まさにこの事を言い当てている。上げ下げの潮が効いている時間帯にクロダイが口を使うことが、経験を通じて古くから知られていたのであろう。
イガイ群集が水没して波に洗われる潮位はクロダイが釣れる時合である
また、この金言にはもう一つ重要な内容が込められている。それは、クロダイが口を使う潮位を教えていることだ。
垂直護岸を例にすると分かりやすい。岸壁の潮間帯には、異なる付着動物の群集が等高線を描くようについている。干出に対する耐性によって群集の構成が変わるのだ。中でもイガイ類は、成長が速いため生物量が豊富でクロダイの主食になっており、潮間帯の中ほどに厚みのある群集をつくる。
イガイ群集が海面直下に没し、波の力をもっとも強く受ける状態になるのが、上げ七分・下げ三分の潮位である。波によってイガイが剥がされたり、その隙間に棲むカニやエビが流されたり、多毛類がちぎれて魅惑的な化学物質を出したりと、クロダイの摂餌意欲をいやが上にも高める状況をつくりだす黄金の潮位だといえる。
このことに気づいた時には、驚きを通り越して鳥肌が立つような感覚にとらわれた。先達の慧眼には脱帽するばかりである。
クロダイの感覚器官に関する最新の研究結果は、ことごとく先達の金言を裏づけた