目指すは「世界一のクランクベイト」。この連載では、ラッキークラフトUSAのルアーデザイナーと、大森貴洋、リック・クラン、スキート・リースら歴代プロスタッフが勝てるルアーを作るために繰り広げた知られざる切磋琢磨の歴史を紹介する。
すべては衝撃のひと言から始まった。「このルアー、泳いでないね」
編集部=文と写真
この記事は『Basser』2022年4月号に掲載したものを再編集しています。Basserのバックナンバーは定期購読をお申し込みいただくとデジタル版バックナンバーが4年分以上読み放題! 詳しくはこちらをどうぞ!目指すは「世界一のクランクベイト」。この連載では、ラッキークラフトUSAのルアーデザイナーと、大森貴洋、リック・クラン、スキート・リースら歴代プロスタッフが勝てるルアーを作るために繰り広げた知られざる切磋琢磨の歴史を紹介する。
クランクの裏にある物語
大森貴洋やリック・クラン、スキート・リースら、世界の頂点に立ったことのあるアングラーたちと共にクランクベイトを作ってきたメーカーがある。それはラッキークラフトUSA。代表作のひとつであるLC RTO(旧RCシリーズ)を世界最高のプラスチック製クランクベイトとして挙げるアングラーは非常に多い。この連載では、名だたるアングラーたちと交流し長年ルアーデザインを行なってきたラッキークラフトUSAデザイナー・瀬川稔さん(現社長)に開発秘話を明かしてもらう。ひとつのクランクベイトの裏側にはどんな物語があるのだろうか?
第1回の主役は大森貴洋さん。ラッキークラフトUSAとは2001年以来の長い付き合いとなっているが、実は契約に至るまでには長い道のりがあった。以下、瀬川さん談。
大森貴洋との出会い
ラッキークラフトUSAのオフィスには大森さんのトロフィーやルアー、優勝記事の切り抜きが飾られた棚がある
まずは私の話を簡単に。ラッキークラフトUSAは1997年にカリフォルニアで立ち上げられたんですが、私が開発のアルバイトをするようになったのが1999年。ちなみに私は映画監督になりたくて1997年からシアトルの大学に通っていました(笑)。
当時私は20歳くらいで時間があり、しかもCADを扱えたので、そこからはとにかくたくさんのルアーを作っていました。1年に600個の試作品を作る生活を10年は続けたと思います。ルアーを作る生活が続く中、『Basser』などの雑誌からアメリカで戦う光輝く日本人選手を知りました。それが並木敏成さんと大森貴洋さん。そして2001年にバスマスタークラシックの会場で大森さん(この試合が初出場だった)と会うことができ、名刺交換したことを覚えています。当時、私はハードベイトのスペシャリストと契約したいと思っていて、大森さんはまさに最高の人材でした。いつか大森さんが世界一になって、そのとき投げたルアーを作ることができたら……。若い私はそんな夢を描いていました。
却下の歴史
試合後、さっそくテキサスに大森さんを口説きに行きました。ただ、当時大森さんは「勝てるルアーしか使いたくないからルアーの契約はいらない」がモットーでした。私はCBシリーズやクラシカルリーダーなど、当時のラインナップを持参したのですが、それを泳がせた大森さんは「よくないね」と。大部分はパッケージも開けられることなく戻ってきました。完敗です。大森さんが「これなら」と言ってくれるルアーを作ることが契約のファーストステップでした。当時大森さんは、当時のアメリカの試合の3大ウイニングパターンだったスピナーベイトとフリップ、そしてシャロークランクを軸に絞って極めようとしていました。スピナーベイトはすでにTOスピナーベイトがありましたから、ではハードベイト屋である私たちが作るならクランクだろう、そう考えてクランクを作ることにしました。
現在、密接な関係にあるラッキークラフトUSAと大森さんだが、契約に至るまでには紆余曲折があった
そこから研究したのがバグリー。当時、大森さんをはじめ、著名なツアープロとルアーの話をすると必ずバグリーの名前が挙がっていたんです。ただ、当時の現行品は「ズバリ」ではなかった。当時からさらに15年前と24年前の個体がよいと。耐久性やコーティングの厚さなどの要素が違うんだと。そういった話を聞いて聞いて聞きまくって勉強しました。その集大成として、ファットCB SRというルアーをプラスチックで作って大森さんのところに再チャレンジしたんです。
大森さんはパッと泳がせて、「このルアー、泳いでないね」とひと言。いや、見た目的にはちゃんとウォブルもロールもしてるし、ちゃんとアクションしてるんです。ただ、大森さんは当時15年前のバグリーを集めては自分でコーティングを全部はがしてやり直し、泳がせてリップに〇(試合用)や×(プラ用)と書き入れていた。〇は釣れるアクションで、つまりこれが大森さんにとっての「泳いでいる」なんです。その基準は言葉では説明してくれない。帰ってくるのはひと言だけです。
困り切った私は「もうウッドで作るしかない」と思って、バグリーにOEMを頼みに行きました。しかし金額の交渉が折り合わず撃沈。もう、八方ふさがりですよ。
失意のなか、「バグリーは軸が前にあるよなぁ……」などと試行錯誤して、最後に持って行ったのがFAT CB B.D.S.4。これを大森さんに渡してカリフォルニアに帰っていると、飛行機に乗っている最中に着信が残っていました。
「ああ、大森です。あのルアー正解です。泳いでます」
何がよかったのか……。それは今だにハッキリとはわからないんですが、私の理解で話しますね。まず、大森さんがシャロークランクをよく使うのはプリスポーンからスポーン期にかけて。そのタイミングのキーレンジって、ずばり「4ft」なんですよ。しっかり泳ぐクランクを、4ftにある何かに当てなきゃいけない。バルサのクランクで4ftに届かせようと思うと速く巻かなきゃいけない。けど浮力の弱いプラスチックならスローリトリーブで4ftを叩ける。だからスローに巻かなきゃいけないときに出番があると判断してもらえたのかもしれない。あと、彼らの言う「泳いでいる」って、ウォブルとロールの割合が……とかそういう話じゃなくて、きっと自分のタックルで巻いたときに手に残る感覚なんですよ。
大森さんにB.D.S.4を渡したのは100本ノックの101本目って感じでしたが、それが何とかピンポンをもらえた。ここから私たちと大森さんの付き合いが始まることになります(続く)。B
Fat CB B.D.S.4
75mm、24g
このカラーは大森さんの要望で塗られたもの。大森さんが2004年のクラシックに勝ったあと工場を訪れた際にリクエストがあった。当時、大森さんはドチャートを極めようとしていたという
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