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編集部2022年4月4日

世界一のクランクベイトができるまで。ラッキークラフトU.S.A. Behind Story 第3回

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この夜、大森さんと語りながら胸に手を当てて考えました。思い当たったのは、私にはまだ「ルアーがアメリカだけじゃなく、日本でも売れたらいいな」という下心があったということです。その邪心がルアーに「Fashionable」を求める結果に繋がっていたんですよね。

プロに使われるルアーの絶対条件

瀬川 稔(ラッキークラフトUSA社長)=語り、ラッキークラフトUSA=写真提供

この記事は『Basser』2022年5月号に掲載したものを再編集しています。Basserのバックナンバーは定期購読をお申し込みいただくとデジタル版バックナンバーが4年分以上読み放題! 詳しくはこちらをどうぞ

  目指すは「世界一のクランクベイト」。この連載では、ラッキークラフトUSAのルアーデザイナーと、大森貴洋、リック・クラン、スキート・リースら歴代プロスタッフが勝てるルアーを作るために繰り広げた知られざる切磋琢磨の歴史を紹介する。

以下、瀬川さん談。

 

◆第1回:すべては衝撃のひと言から始まった。「このルアー、泳いでないね」

◆第2回:勝つためのFAT CB B.D.S.2、アングラーに寄り添うB.D.S.3

 

ケビン・バンダムとポインター78

 前回はB.D.S.2と3を作ったところまで話しました。結論から言いますが、当時、このふたつのルアーがアメリカのプロたちに厚く支持されることはありませんでした。あるプロにはうちのルアーについてこう言われました。

「It's Fashionable, But not Functionable」

 要は「見かけはいいけど釣れないよ」ということです。強烈な全否定ですよね。私の試行錯誤と苦悩はまだまだ続くわけです。そんなとき、私の人生の大きな転機になった出来事がありました。今回はその日のことを紹介します。

 2003年、FLWのケンタッキーレイク戦でケビン・バンダムが気分よく上位入賞した。そのお祝いを兼ねたディナーに同席させてもらう機会がありました。メンバーはケビン・バンダムと大森貴洋、マイク・オートンと私の4人でした。

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ケビン・バンダムが上位入賞した2003年のFLWケンタッキーレイク戦には大森貴洋さんも出場していました。この試合後のディナーで私の人生が変わります

 実はケビン・バンダムは1999年のバスマスターインビテーショナルのセントローレンスリバー戦を優勝しているんですが、ウイニングルアーがうちのポインター78でした。その背景には1998年のウエスタンインビテーショナルでデニス・ホイが加藤誠司さんから受け取ったポインター78で勝ったことがあります。ちなみにこれは余談ですが、アメリカにドロップショットリグが広まったのは、この試合で加藤さんが「every time lucky rig」として持ち込んだことがキッカケでした。

 話が逸れましたが、要はケビン・バンダムは比較的スポンサーへの忖度なく「イイものはイイ」という姿勢でルアーを使ってくれる人だということです。

 そのディナーで、私は当時作っていたプラグや製品を次から次へとケビン・バンダムに見てもらいました。「コレは使える、コレはダメ」「コレはこういうシチュエーションでこうして使うと……」などと、ケビン・バンダムはひとつひとつ丁寧に教えてくれました。私は圧倒されましたね……。この人の頭の中にはこんなにたくさんのシチュエーションやルアーの使い方の引き出しがあるのか……と。

 めちゃくちゃ参考になりましたが、どちらかといえばその凄みに打ちのめされたという表現が正解かもしれません。

大森貴洋と「世界一」を誓い合う

 このディナーのあと、私と大森さんはふたりで夜通し語り合いました。この夜が私の人生を変えます。最初、大森さんとは「ケビンは本当にすごい」という話をしていました。そのあとの会話が忘れられません。「アメリカ人が10の努力で勝つなら、僕はその3倍どころか6倍の努力が必要。だから60倍の努力で世界一になるよ」と大森さん。

 私はその話を聞き、自分もアメリカ人の6倍でも10倍でも努力をして勝てるルアーを作って世界一のビルダーになるんだと返しました。ふたりで「世界一」を誓い合ったわけです。三国志でいう「桃園の誓い」です。

 当時、大森さんはツアーを回るうえで金銭的にキツい部分があり、いろいろと不安がありました。そんな状況下で、大森さんはひとつの決断を下していました。それは、スポンサーに何かを求める気持ちは捨て、純粋な賞金稼ぎとして生きるということです。

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「賞金稼ぎとして生きる」という覚悟こそが大森さんの強さの秘密でした

 一方私はどうか……。この夜、大森さんと語りながら胸に手を当てて考えました。思い当たったのは、私にはまだ「ルアーがアメリカだけじゃなく、日本でも売れたらいいな」という下心があったということです。その邪心がルアーに「Fashionable」を求める結果に繋がっていたんですよね。たとえばB.D.S.2や3も、勝つことだけを考えたらもっといろいろ省いていたと思います。

 大森さんが賞金稼ぎとして生きる覚悟をしたのと同じように、私も日本で売れてほしいという気持ちは捨てて「勝つためのルアー」だけを求めようと決断しました。この夜が境界線でした。

「勝てるルアー」の絶対条件とは

 そしてこのあと、「勝てるルアー」の絶対条件を私は知ることになります。それはあるプロの言葉がキッカケでした。

「We are not fishing bass, fishing prediction」

 直訳すると、「我々はバスではなく予測を釣っている」。

 そしてこう続きます。

「Not using lure , using experience」
「ルアーを使っているのではなく、経験を使っている」

 フィールドやバスの状況は刻一刻と変わります。トーナメントで勝つためには、その変化を予測して釣っていかなければなりません。そして、プロたちはその予測を「過去の経験」から行ないます。過去から計算された直感から未来を読んでいるわけです。経験があってはじめて未来が見えるんです。

 私はこの話を聞いてハッと気付きました。アメリカのプロにルアーを使ってもらうためには、彼らとともに生き、彼らのプラクティスに使ってもらわなければならない。つまりルアーデザイナーとしての私も、プロたちの経験と努力の日々と共に生きなければならないんです。その日々があって初めて、プロに投げてもらえる1個のルアーとして選んでもらえるのだと確信しました。

 この2年後、大森さんがバスマスタークラシックで優勝しますが、ラスト5分でキッカーを連発したルアーはうちのクランクではなくバルサB2でした。大森さんには賞金稼ぎとしての覚悟がありましたから、最後の5分でスポンサーのことが一切頭によぎらず、100%純粋に勝つための手段としてバルサB2を選びました。それが大森さんの「強さ」であり、あのクラシックを勝った理由のすべてです。大森さんは渡米以来積み重ねてきた努力の日々でバルサB2に絶対的な自信をもっていました。

 このクラシックが開催された2004年だけを切り取ると、私は大森さんと共に生きていましたが、それまでの10年間はずっと一緒にいたわけではありません。つまり、大森さんのこれまでの努力すべてに寄り添っていなかった。だから我々のルアーは大森さんの「経験」になれていなかったのです。

 そう考えると、大事なのは「今」だけではなく、これからの10年です。大森さんをはじめとするプロに寄り添って努力を積んでいくことが、ラッキークラフトのルアーが世界一の1ピースになるために絶対に必要なことだとわかりました(続く)。

 

「Not Fishing Bass , Fishing Prediction」
――我々はバスではなく、予測を釣っている

 

 

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