日本初のバスフィッシング専門誌「Basser」。その400号を記念して、心に残った思い出の記事を編集部員および営業マンに語ってもらった。
文◎塚本哲也(ツカモト・テツヤ)
小学校低学年で釣りデビューし、多摩川でフナやクチボソ釣りに夢中に。高学年でルアー釣りにハマり、自転車で津久井湖へ遠征するようになる。大学では釣りサークルに入り、「Bass of Japan」のトーナメントに参戦。JBTAやWBSにも挑戦するが、勝てず…。30歳でバス釣りを引退し、今はアユやヘラブナの大会に参戦しながら釣りを楽しんでいる。
▼ピックアップ記事 Basser2004年10月号(No154) 大森貴洋 2004年バスマスターズクラシック優勝!!
大森貴洋との出会い
2004年、『Basser』10月号で「大森貴洋 バスマスターズクラシック優勝!!」のニュースを目にした瞬間、思わず鳥肌が立ちました。
おォ〜あの彼が……ついにここまで来たのか!!
2004年10月号の表紙
私が彼と出会ったのは、この大偉業からさかのぼること15年前のことです。河口湖の鵜の島で、テント暮らしをしながらバスを食べて生活している若者がいると聞き、興味本位で見に行ったのが最初でした。その若者こそが、大森貴洋さんでした。
彼はこう語ってくれました。
「本場アメリカでバスプロとして生きていきたい」
うゥ〜ん……正直に言いますと、その言葉を聞いた当時の私は、どこか現実味のない話だと感じてしまいました。
「コネも実績もないのにアメリカに渡るなんて!」と。
日本国内で実績を重ね、スポンサーを得てから挑戦するのが“王道”だと考えていた私は、彼の言葉に驚きと戸惑いを覚えました。でも、彼は違いました。
無鉄砲な挑戦と決意
ロイヤルホテルのドアボーイ、牛丼屋のアルバイト……。彼はアメリカでの生活費を稼ぐために働きながら資金を貯めていきました。そしてついに、「試しに一度行ってみる」と言って、本当にアメリカへ渡ってしまいました。
おォ〜、英語も話せず、知り合いもいないのにアメリカへ…。
「根性あるな〜、っていうか無鉄砲すぎる!」と思いました。
彼の渡米は、1992年の『Basser』7月号で「海を渡ったリュックサックの若武者」として特集され、「アメリカでトーナメントに勝つために、生活のすべてを賭ける」という強い決意が語られていました。
そして彼は、本格的にB.A.S.S.のトーナメントにフル参戦します。渡米前に残した言葉が、今でも忘れられません。
「14年目にクラシック優勝する」
当時の私は半信半疑。
「せめて1勝くらいできればすごい。それでも数年後には挫折して日本に帰ってくるだろう」と思っていたのですが、結果は全くの逆。
1992年7月号の表紙
このころすでに「クラシック優勝」は"夢"ではなく"目標"。あの言葉は決意表明だったんですね
そして、夢は現実に
英語も話せず、コネもない。そんな状況の中で、彼はただひたすら「勝ちたい」という強い気持ちを武器に努力を続け、ついに頂点を掴みました。
うゥ〜ん、本当にすごい…。
メジャーリーグで活躍した野茂英雄選手やイチロー選手、大谷翔平選手のように、大森貴洋さんはバストーナメントの世界で日本人の偉業を成し遂げました。そして今、彼の背中を追いかけるように、多くの日本人アングラーがアメリカのトーナメントに挑戦しています。
今や彼は、アメリカのトップトーナメンターのひとり。
今でも信じられない気持ちでいっぱいです。
大森貴洋、バスマスターズクラシック優勝!
本当にすごい!