プロ野球で2050安打を積み重ねた和田一浩さんを今熱くさせているのは、磯釣りファンの憧れクチジロだった。あと一歩のところでハリが外れた3日目。それでも焦りはなかった。「自然が相手ですからね」──現役時代と変わらぬその胆力を、磯の上でも見せつけた。舞台は八丈島。4日間の激闘の末にたどり着いた答えとは。

写真と文◎山根和明(株式会社つり人社代表)
つり人社代表取締役社長。日本釣振興会理事。大学在学中にアルバイトとしてつり人社に入り、卒業後に入社。1946年創刊の月刊「つり人」編集部に配属される。
2006年に同誌編集長、2015年に代表取締役社長に就任。釣りメディア一筋で、企画・編集・事業開発までを一貫して手がけてきた。また、釣り文化の普及と次世代育成にも力を注いでいる。2026年4月刊行の著書『カッパのいない川で子どもは育つか』は、発売2日目でAmazonカテゴリランキング1位を獲得。
3日目朝の釣りは中止に……八丈島各所を視察
3日目の朝。海は前日までのシケを引きずり、渡船は出船を見合わせた。和田一浩さんにとっては、八丈島で磯に立てる貴重な一日が失われたことになる。それでも焦る様子はない。
「自然が相手ですからね。こればかりは仕方ありません」
この日は、昨年10月の台風22号、23号で大きな被害を受けた島内を視察した。現在も各地で復旧工事が続き、道路脇には崩落の跡が残る。美しい自然に囲まれた八丈島だが、その自然は時として島の暮らしに大きな試練を与えることもある。
町長室に飾られた「クチジロの剥製」
その後、八丈島町役場を表敬訪問した。町長室に入ると、真っ先に目に飛び込んできたのは、堂々と飾られた80cmほどのクチジロの剥製だった。
「さすが八丈島ですね」
思わず和田さんも笑みを浮かべる。町長室にクチジロの剥製が飾られている自治体など、日本中を探してないだろう。改めて、この島にとってクチジロが特別な魚であることを実感させられた。
八丈島の球児たちへのエール
八丈島は野球が盛んだ。離島甲子園でも盛り上がりを見せている。本来なら元プロ野球選手として球児たちに直接エールを送りたいところだった。しかし、プロ野球協約の関係で、それはかなわなかった。
そこで和田さんは、参加する球児全員の名前を書いた名簿を受け取り、一人ひとりに丁寧にサインを書き入れた。突然の申し出に、コーチの竹花紀俊さんは目頭を熱くしていた。
断崖絶壁の地磯「石積」での死闘!痛恨のバラシに崩れ落ちる
午後から向かったのは、底ものの実績が高い地磯「石積」。断崖絶壁が海へ落ち込み、その足元で紺碧の海が白く砕け散る。大ザラシは沖へ帯のように伸び、まるで映画のワンシーンを見ているようだ。
そして、その絶景の中で、この旅最大のドラマが訪れる。最後の最後、和田さんのサオが大きく弧を描いた。本命らしき重量感。慎重に浮かせ、あと少し――。
その瞬間だった。
フッ。
無情にもハリが外れた。百戦錬磨の和田さんが、その場に膝をついた。
「え~、なんで抜けるのかな……。あと少しだったのに。悔しいです。くぅ……」
しばらく立ち上がれなかった。野球で2050安打を積み重ねた男でも、一尾のクチジロは簡単には微笑んでくれない。
最終日、超一級磯「カンナギ」へ!
迎えた最終日。この日、八丈島はようやく和田さんに心を開いてくれた。風向きは北東に変わり、ウネリも約1mまで収まった。空は青く晴れ渡り、絶好の磯釣り日和である。
当初狙っていた一級磯「一の根」には団体客が入っていた。
「釣りができれば、どこでもいいですよ」
その一言に応えるように、船長は思い切った判断を下した。船首が向かったのは、八丈小島南西沖に浮かぶ超一級磯「カンナギ」。一の根や中根よりも小さく、波をかぶりやすい難所で、足場も決して良いとはいえない。渡礁できる日は限られるが、その分、数々のドラマを生んできた名礁である。これまでに、この磯で釣りあげられた5kgオーバーのクチジロは数知れない。
午前6時40分、無事に渡礁。周囲を見渡した和田さんは、笑顔でこう話した。
「もちろん初めて乗りましたが、海を見ただけで、すごい磯だということが分かります。ここへ渡れただけでも満足しています」
とはいえ、油断は禁物だ。前日までのウネリはまだ残り、左手のハエ根では白い大ザラシが洗濯機のように渦を巻いている。いつヨタ波が這い上がってきてもいいように、タックルバッグなどは高場へ移動させ、ロープでしっかり固定した。
ガンガゼを2個掛けにして、足元へ仕掛けを送り込む。潮はゆっくり左へ流れる。小さなアタリはあるものの、本命はまだ口を使わない。この3日間、どの磯でも本命が動き出すのは釣り開始から1〜2時間後だった。この日も同じ展開である。
時折サオを絞り込むのは、お約束のゲスト、カンムリベラ。それでも焦りはない。ここはカンナギ。これで終わる磯ではない。
怒涛のイシガキダイ連発
午前10時を過ぎ、下げ潮が効き始めると景色が一変した。潮は右前方へ向きを変え、ごうごうと音を立てながら川のように流れ始める。
その瞬間だった。待っていましたとばかりにイシガキダイが口を使い始めた。40cm前後の魚が次々とサオを絞り込み、磯の空気が一気に熱を帯びる。
そして午後0時40分。この日一番の締め込みが訪れた。浮かび上がってきたのは、口元が白く色づき始めた48cmのクチジロ。肉厚で体高もある、美しい魚体だった。
「目標サイズには届きませんでしたが、クチジロの顔を見ることができて良かったです。それにしても、よく引きます。足元がオーバーハングしているので、そこへ潜り込もうとするんですね。最後まで気が抜けませんでした」
ようやく本命に出会えた安堵の笑みがこぼれる。
納竿間際のドラマ!ついに51cmの本命・クチジロを捕捉
しかし、ドラマはまだ終わらなかった。納竿まであとわずかとなった午後1時30分。最初はエサ取りのような小さなアタリだった。和田さんはサオを手にしたまま、じっと待つ。
すると――。
ズン。
ズン。
ズン。
三段引き。間髪入れずにアワセを入れると、愛竿ダイワ「幻覇王 石鯛」が大きく絞り込まれた。
「走った!走りましたよ。これは本命ですね」
黒い魚体が何度も磯際へ突っ込む。
「いや~、最高ですね。いい引きします。強いですよ」
激闘の末、水面を割ったのは、先ほどよりひと回り大きなクチジロだった。黒光りする堂々たる魚体。そして、年輪を刻んだように白く染まった唇。気品さえ漂う一尾だった。
「きれいな体ですね。もう言うことありません。この一尾に会いたかった」
計測すると51cm。和田さんが追い続けた八丈島のクチジロが、最後の最後で微笑んでくれた。
「こんなにワクワクした磯釣りは久しぶりです。八丈島、最高ですね。飛行機ですぐ来られますし、これはもう、また来るしかないです」
4日間追い続けた末に、ようやくたどり着いた一尾だった。2050本の安打を積み重ねた男が、最後に見せたのは勝者の笑顔ではなかった。一人の釣り人として心の底から喜ぶ、少年のような笑顔だった。
釣行の様子は動画でも公開中
釣行の様子はYouTube「釣り人チャンネル」でも公開中。ぜひあわせてご覧いただきたい。
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子どもの自殺者数が過去最多を更新し、不登校は35万人を超えた。 豊かで安全なはずの日本で、なぜ子どもたちはこれほど追い詰められているのか。 自然体験が、待つ力、やり抜く力、折れない心を育てる。 創刊80年の釣り専門誌『つり人』編集長を10年務め、親子向け魚釣りイベントにも多く携わる筆者が、記者として、父として、水辺と子どもに30年かかわり続けてたどり着いた育て方のヒントとは。 巻末には、政治の側から子育て支援と水辺の環境問題に取り組む、元滋賀県知事で参議院議員の嘉田由紀子さんとの対談も掲載。



