リップは薄いほうがアクションのキレは出ますが、引き抵抗が重くなってしまう。また、飛距離を出すための重心移動を備えつつ、リトリーブ時はウエイトが固定され速引き時にアクションを安定させることも重視しました。そうして作ったのが潜行深度6mのフラットCB D 20です。
駆け出しのバスプロに寄り添うスモールクランク乱造時代
瀬川 稔(ラッキークラフトUSA社長)=語り
この記事は『Basser』2022年8月号に掲載したものを再編集しています。Basserのバックナンバーは定期購読をお申し込みいただくとデジタル版バックナンバーが4年分以上読み放題! 詳しくはこちらをどうぞ!目指すは「世界一のクランクベイト」。この連載では、ラッキークラフトUSAのルアーデザイナーと、大森貴洋、リック・クラン、スキート・リースら歴代プロスタッフが勝てるルアーを作るために繰り広げた知られざる切磋琢磨の歴史を紹介する。
以下、瀬川さん談。
◆第1回:すべては衝撃のひと言から始まった。「このルアー、泳いでないね」
◆第2回:勝つためのFAT CB B.D.S.2、アングラーに寄り添うB.D.S.3
◆第3回:プロに使われるルアーの絶対条件
◆第4回:「新しい振動」を探す旅のはじまり
◆第5回:ディープクランクを巡る熾烈 大森貴洋「やっぱりオレはディープはやらない」までの道のり
若いプロスタッフは最大の仲間であり敵だった
2003年ごろ、私たちは「新しい振動」を求めてフラットサイドクランクやディープクランクの研究、製作を行ないました(連載第4回、5回)。このあとの2004〜2006年ごろ、私はひたすらスモールクランクを作ることになります。
このころすでにリック・クランがDTNを使っているという話が広がっていましたが、一般的にはむしろバンディット100や200、ハンドメイドのスモールクランクが全盛期を迎えていました。そして、私たちが付き合いをしていたバスプロからもスモールクランクを求める声が極めて多かった。これには理由があります。
当時、ラッキークラフトUSAのプロスタッフは駆け出しのアングラーが多かった。スキート・リースやケリー・ジョーダン、ブレント・エーラーはみんな30歳代前半でした。たとえばスキート・リースはちょうどこのころB.A.S.S.のトップカテゴリーであるTOP150に参戦することを決意します。しかしお金がない。スキートは当時の彼女にプロポーズするとともに、「オレのために家を売ってくれ」と話をしました。そしてフォードのSUVにクイーンサイズのベッドだけを積んでツアーを回ることになります。自分のトラックとボートに夢を詰め込んで奥さんと一緒に新しい人生に踏み出したわけです。スキートだけでなく、借金をしてツアーに挑戦するプロもいました。30歳代の入り口はそういう年齢です。
モチベーションはマックスですが、だからといってすぐに勝てるわけではありません。当時の私は「うちの『振動』がプロの試合をヘルプしている」と言いましたし、彼らは「オレたちの活躍が会社を助けている」と言い合っていました。プロスタッフは最大の仲間であり、時に最大の敵でした。熾烈なやり取りで削りあっていましたね。私は彼らの言い訳や愚痴を腹いっぱい聞き、振り回され、一心不乱に求められるものを作りました。
そんな彼らが求めるものこそがスモールクランクだったのです。
発展途上のメンタルがスモールクランクを求めた
2004~2006年、さまざまなスモールクランクを一心不乱に作ったという瀬川氏。B.D.S.0や1、フラットCBミニ、ファットCB GDSミニなどが生み出された
ではなぜスモールクランクだったのか。それはまだまだトーナメントの経験が少ない若い彼らのメンタルが育っていなかったからです。「明日ちゃんと釣れるかな……」という不安や葛藤が彼らにドロップショットやスモールクランクを選ばせました。ツアーレベルでは魚を見つけて釣っていくことが大変ですので、目の前にいる魚に口を使わせやすいルアーで釣りたくなるのは理解できます。
たとえばブレット・ハイト。当時はラッキークラフトのプロスタッフでした。今でこそチャターベイトの名手でありジャックハンマーの生みの親(清水盛三さんと共同開発)として名を馳せる彼ですが、20年前は有名なドロップシューターだったんですよ。西海岸では無敵でしたが、B.A.S.S.のトップカテゴリーではドロップショットを投げ倒して2年で撃沈。バスマスターから一度退くことになります。
ブレット・ハイトの場合はドロップショットでしたが、このように発展途上のプロはフィネスやスモールクランクを求めるメンタルだったんです。たとえば当時のジョージ・コクランといったDeveloped Angler は状況を見極めてフィネスやスモールクランクを投入していましたが、Developing Anglerである彼らはまだその域には達していなかった。
私も彼らのそういった心に寄り添って生きていましたし、一緒に上を目指して頑張っていました。だから求められるがままにスモールクランクを作りまくるのは自然な流れでした。
結果的に、B.D.S.0や1、フラットCBミニ、ファットCB GDSミニなど、実に多彩なスモールクランクがラインナップに加わることになります。
これらのクランクは今はディスコンになっているものもあれば、生き残っているモデルもあります。振り返って思うことがあります。ルアーやテクニックの幅は「強くなるために広げ、極めるために絞られる」のだと。さまざまなルアーの誕生と消滅はその歴史だと私は感じています。B
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