6月に入ると、全国の多くの河川でアユ釣りが解禁になる。釣り人で賑わう解禁日の映像がお茶の間に流れ、「太公望たちが待ちに待ったアユ釣りの解禁日を満喫しました」とナレーションが入る。
アユ釣りの代名詞である友釣りは、生きたアユをオトリにして野アユを釣る、世界でも類を見ない日本独自の釣法だ。なぜ魚で魚を釣るのか。そしてなぜこれほど多くの釣り人を魅了し続けるのか。つり人社代表の山根和明が、友釣りの深い世界を語る。

写真と文◎山根和明(株式会社つり人社代表)
つり人社代表取締役社長。日本釣振興会理事。大学在学中にアルバイトとしてつり人社に入り、卒業後に入社。1946年創刊の月刊「つり人」編集部に配属される。
2006年に同誌編集長、2015年に代表取締役社長に就任。釣りメディア一筋で、企画・編集・事業開発までを一貫して手がけてきた。また、釣り文化の普及と次世代育成にも力を注いでいる。2026年4月刊行の著書『カッパのいない川で子どもは育つか』は、発売2日目でAmazonカテゴリランキング1位を獲得。
連載 「釣りの疑問に全部答える」 について
― 創刊80周年。釣り専門メディア社長が語る「本質」―
つり人社は2026年7月、創刊80周年を迎える。本連載では、釣り専門出版社の社長として、また長年の編集者として釣り人を見続けてきた山根和明が、釣りにまつわる疑問に正面から答える。毎週更新。
「太公望」の意味を知っているか
太公望の起源は紀元前11世紀、殷王朝末から周王朝初期に生きた軍師、姜尚(きょうしょう)にまで遡る。姜尚には、渭水(黄河の支流)のほとりで釣りをしながら、ひたすら時を待っていたという逸話がある。中国ではこの故事から、太公望は「出仕の時機を待つ賢者」の象徴とされてきた。
拙著「カッパのいない川で子どもは育つか」でも解説しているが、重要なのはここで語られているのが「才能」ではなく、「待つ姿勢」だという点だ。
この話が日本に伝わる過程で、政治的な意味合いは次第に薄れ、釣り糸を垂れて静かに待つ姿だけが強く印象づけられていった。そしていつしか、「釣りを好む人」そのものを指す言葉として定着した。
釣りと「待つ」という行為は、そもそもの始まりから深く結びついている。
アユの「友釣り」は決して難しくない理由
アユの友釣りを巡っては、こんな声をよく聞く。
「やってみたいけど、難しそう」「いつかはトライしたい」「高尚な感じがする」「憧れるけど、お金がかかりそう」
しかし友釣りは、実はそれほど難しくない。
なぜなら、野アユを掛けてくれるのはオトリアユだからだ。エサ釣りなら、エサの付いた仕掛けを振り込むのは釣り人自身で、ポイントを見極める眼力が釣果に直結する。しかし友釣りでは、好ポイントがわからなくても、オトリアユを自由に泳がせれば、勝手に野アユがナワバリを持っている石まで行ってくれる。
友釣りで大切なのは、ポイントを見極める眼力よりも、オトリに元気よく泳いでもらうことだ。
友釣りの本質は「待つ力」
そこで重要になるのが「待つ力」である。
魚は引っ張られたのとは逆方向に逃げようとする。右に泳がせたいと思って右に引っ張ると、左に行こうとする。強引にやると魚は激しく抵抗し、体力を消耗する。弱ったオトリは仕事をこなせない。
オトリを強引に引っ張らない。オトリが自分で泳ごうとするまで、待ってあげる。これが友釣りの基本中の基本だ。
太公望が渭水のほとりで時を待ったように、友釣りもまた「待つ釣り」である。
「待つ」けれど「動く」?友釣りで釣果を上げる名人の特徴
「待つ」と言ったが、語弊がある。
友釣りでは競技会も盛んだが、全国大会のチャンピオンたちは、とにかくよく動く。動く人ほどよく釣る。
矛盾しているように聞こえるだろう。しかし動く際に、オトリアユを引っ張っているわけではない。オトリをタモや引き舟に入れて休ませながら、自分で動いてサラ場——まだ竿を出していないポイント——まで移動し、そこにオトリを放つのだ。
つまり「待つ」のはオトリに対してであり、釣り人自身は常に動き続けている。
釣れない人ほど一か所にとどまる傾向が強い。そういう人を「案山子」と呼ぶことがある。連載の中でも触れたが、これはアユ釣りに限らず、釣り全般に共通することだ。

友釣りは「人生に通じる」奥深さ
友釣りが多くの釣り人を魅了してやまないのは、その独特の釣法ゆえに、他の釣りでは感じられない奥深さがあるからだ。
大げさに聞こえるかもしれないが、友釣りには人生に通じるものがある。いい時もあれば、悪い時もある。オトリが元気に泳いでいる時は連続して掛かり、流れがよくなる。逆にオトリが弱り、流れが悪くなると、なかなか掛からない。そのいい流れを作るか、悪い流れに乗るかは、心の持ち方次第——そういう部分が友釣りには本当にある。
隣人がよく釣るからといって、それを妬んだり、悔んだりすると、ますますオトリの操作が雑になり、釣れなくなる。平常心が求められる。ある意味で、自分自身との闘いでもある。こんな奥深さがあるからこそ、何十年も清流に通い続ける釣り人が後を絶たない。
なぜ魚で魚を釣る?世界に類を見ない日本独自の釣法
アユの友釣りは、世界でも類を見ない日本独自の伝統釣法だ。
ほとんどの釣りが魚の食欲に訴えてエサや擬似エサを口にくわえさせることを追求しているのに対し、友釣りは根本的に違う。
アユは川底の石のコケを食む。良質なコケが付いた石にナワバリを持ち、侵入者が来ると魚体でぶつかって追い払う。この習性を利用したのが友釣りだ。食欲ではなく、闘争本能を利用した釣りである。
友釣りの釣果はオトリが川底を泳いだ距離と比例するという人もいる。野アユがナワバリを持っている石までオトリが泳いでいくことが肝要で、釣り人が強引に引っ張って移動させても、野アユの闘争心をかきたてない。何度でも言う。友釣りではオトリに自力で泳いでもらうことが大事なのだ。
掛けバリは尻ビレ付近にセットした逆バリに打つので、オトリが尾ビレを振って自力で泳いでいると、野アユが体当たりしてきたときにハリが掛かりやすい。これを釣り人が強引に引っ張ると、ハリが立ちにくくなる。

アユのルアー釣りという新潮流
近年、アユのルアー釣りの人気が急上昇している。
ここ数年の夏の暑さは尋常ではなく、清流に浸りながら手軽に楽しめるのが人気の理由の一つだ。また友釣りには、元気なオトリがないと成立しないという制約がある。通常、2尾のオトリを購入してスタートするが、2尾とも弱ってしまえばそこで終わりだ。再びオトリを買いに行くか、帰るかだ。また、友釣りでは釣りあげた野アユをオトリにして循環させていくのだが、1日やって5尾くらいしか釣れないと、うまく循環できない。最低でも10尾は釣らないとローテーションが回らない。
しかしルアーなら、2尾でも5尾でも釣れれば御の字だ。
アユのルアー釣りはまだ黎明期で、禁止されている河川も少なくない。しかし年々認められる河川が増えており、新しいテクニックが次々に編み出されている。友釣りは敷居が高いと感じる人は、まずルアー釣りから入ってみてはどうか。
友釣りで釣ったアユが最も美味しい理由とは?
アユの釣り方は友釣りだけではない。ドブ釣りという釣り方もある。
ドブ釣りとは毛バリを使った釣り方で、複数の毛バリを付けた仕掛けでアユを釣る方法だ。かつては各地で行われていたが、現在はめっきりとファンが減った。ドブとは淵のことであり、河川環境の悪化でほとんどの河川で淵がなくなってしまったからだ。友釣りが隆盛を極めるのは実は戦後で、戦前はドブ釣りのほうが人気があった。友釣りは職漁師の釣りというイメージが強かったのだ。
友釣りが人気になった理由の一つに、食味がある。
アユは良質なコケを食んだ個体ほど美味い。虫を食べているアユは残念ながら食味は落ちる。良質なコケが付くのは、瀬の流れが速い場所だ。そして荒瀬の一等地にナワバリを持ったアユを手にできる方法は、友釣りしかないといっていい。そういう流れのきつい場所は投網や刺し網も入れられない。
ブランド魚として名高い「郡上鮎」(岐阜県郡上八幡・長良川)でも、最も高値がつくのは友釣りで釣りあげたアユだ。釣り方が食味を決める。これも友釣りが特別である理由の一つである。
清流に立ち、自然と対話するアユ釣りの世界へ
友釣りは難しい釣りではない。しかし深い釣りだ。
オトリを信じて待ち、流れを読んで動き、自然と対話し続ける。太公望が渭水のほとりで時を待ったように、友釣りもまた釣り人に「待つ力」と「動く判断力」を同時に求める。
アユ釣りを始めてみたいと思ったら、まず川に行くことだ。清流に立つだけで、その理由がわかるはずだ。なお、アユ釣りには遊漁券が必須だ。釣行前に必ず購入してほしい。
友釣りの具体的な釣り方や仕掛けについては、以下の入門記事も参考にしてほしい。
【発売2日目でAmazonカテゴリランキング1位を獲得!】カッパのいない川で子どもは育つか
子どもの自殺者数が過去最多を更新し、不登校は35万人を超えた。 豊かで安全なはずの日本で、なぜ子どもたちはこれほど追い詰められているのか。 自然体験が、待つ力、やり抜く力、折れない心を育てる。 創刊80年の釣り専門誌『つり人』編集長を10年務め、親子向け魚釣りイベントにも多く携わる筆者が、記者として、父として、水辺と子どもに30年かかわり続けてたどり着いた育て方のヒントとは。 巻末には、政治の側から子育て支援と水辺の環境問題に取り組む、元滋賀県知事で参議院議員の嘉田由紀子さんとの対談も掲載。



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