1946年創刊の小誌『つり人』は80周年を迎える。その歴史のなかで多くの釣りやターゲットを取り上げてきた。今回は長きにわたり冬の対象魚として親しまれてきたタナゴ釣りの歴史を誌面から振り返ってみたい。

まとめ◎月刊つり人編集部
1946年創刊の雑誌「月刊つり人」を始め、数々の釣りに関するコンテンツを作成してきたつり人社の編集部。
『つり人』の歴史と重なる「タナゴ釣り」の歩み
タナゴ釣りは、今日の和ザオ文化や極小の釣具に象徴されるように、日本独自の釣り文化を色濃く残すジャンルである。その源流は、江戸時代の大名や豪商といった有力者の遊興にあり、優雅さと繊細さを重んじる釣りとして発展してきた。そうした背景を持つターゲットであるからこそ、『つり人』においても創刊当時からたびたび誌面を飾り、80年の歴史のなかで紹介され続けてきた。
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創刊当時からたびたび誌面を飾ってきた文化的背景
『つり人』で最初にタナゴに誌面が割かれたのは、創刊第2号(1946年8月号)である。戦後間もないこの号では、井之頭自然文化園水生物館の伊坂一氏が、釣りの対象となる淡水魚の生態を解説。タナゴについてはヤリタナゴ、ゼニタナゴを挙げ、「他の魚が冬眠する頃でも元気に食い回る」ことから、冬の釣り物として古くから親しまれてきたことを紹介している。また江戸時代から釣られてきた歴史にも触れ、タナゴ釣りが単なる戦後の娯楽ではなく、長い文化的蓄積をもつ釣りであることを示した。
同号に掲載された「各釣場案内」には、一般読者から寄せられた釣行記録が並ぶ。川の部では鶴見川支流でのフナ・タナゴの釣果が紹介された。出漁日は昭和20年3月20日。まだ戦時下のこの時期、駅から徒歩30分かけて川へ向かい、アカムシやキヂをエサにサオをだしたようすが記されている。
大名の釣りから庶民へ
1947年正月号では、巻頭に当時のタナゴ釣りの風景写真がある。釣り場は清明川と巴波川。いずれも6~7尺ほどのサオを使っているようだ。同号は冬の釣り特集号でもあり、「季節の釣」としてタナゴ釣りを大々的に取り上げている。
後藤俊春という人物が「ゲームフィッシュとして東都釣士の熱をいやが上にも湧きたたせた」「『釣れる』魚ではなくあくまで『釣る』魚である」とアツい原稿を寄せている。後藤氏は記事の中で、大名の釣りのようすにも触れている。
「燃へる様な毛氈を川岸に敷きつめ後に狩野何某と言ふ大家の描ける金屏風を張り巡らし(略)『これ誰そある。餌をツケイ』てなことで悦に入ってたどこそこのお殿様の流れを汲んで発達したこの釣」とのこと。そうした様式美をもつ釣りが、時代を経て庶民へと広がり、現在の和の釣り文化へと受け継がれているのである。
昭和の釣りブームとともに過熱したタナゴの「競技会」
もうひとつ無視できないのが競技としてのタナゴ釣りである。釣り大会のターゲットとしては大正時代から対象魚とされていたが、戦後にレクリエーションとしての釣り人気が高まったことでより熱を帯びるようになる。モータリゼーション以前、都市部の釣り人は釣具店や企業を母体とした釣りクラブに所属し、バスを仕立てて集団で遠征した。そこでは自然と釣り大会が催され腕前を競う文化が育まれた。
腕前を競う文化と、女性も活躍した平等な釣り
1951年1・2月号の「誌上釣講座」では、日本釣魚会連盟常任理事の安食梅吉氏が、2回にわたってタナゴ釣りを徹底解説。仕掛けやエサといった基礎から、競技で勝つためのポイント選び、ミャク釣りでアタリを持続させる技術、ウキ仕掛けの使い分けまで、実践的な内容が並ぶ。誌面には各釣りクラブの大会結果も多く、1953年には新宿釣魚連盟主催の大会で、女性の内山弘子氏が204尾を釣って優勝した記録が掲載された。この釣りが性別を問わず技量で競える釣りであったことを物語るエピソードである。
釣技の発展と「オカメ」の変遷
タナゴ釣りが表紙を飾ったのは1958年1月号。前述の安食氏が「たなご釣は何処がよい?」と題し、亀有の中川、草加の綾瀬川、志木の柳瀬川など東京近郊の釣り場を紹介している。利根川沿い神崎のホソの紹介では「オカメが多いが魚は濃い」との記載があり、メインターゲットはオカメ以外だったことが伺える。
ただし、当時の「オカメ」表記には注意が必要。タイリクバラタナゴが定着する以前、関東でオカメと呼ばれていたのはゼニタナゴだったのだ。そのことに触れているのが1970年1月号。巻頭で毎号1魚種を紹介する「魚の博物誌」でゼニタナゴがタナゴ類として初めて紹介され、農学博士の中村守純氏がその点に触れている。
1960年代は釣技の発展の面でも重要な時代であった。東京五輪があった1964年11月号と12月号には後のタナゴ釣りに多大な影響を与えた宇留間鳴竿氏が寄稿し、研ぎバリを紹介。1968年12月号の釣りバリ特集では、昭和初期から極小バリを研究していた先人たちの名前が記録として残されている。一方で初心者向けの記事も充実し、伊東治子氏が記した「女性つり教室」コーナーではイラストを交えた気品ある文体で基本が解説された。
生息環境の悪化と、持続可能なタナゴ釣りへの模索
しかし1970年代に入ると、水質汚染や河川改修による生息環境の悪化が顕在化し、タナゴ釣りの記事は減少する。
公害による減少と、2000年代の再評価
水俣病の公害認定が1968年、ヘドロの汚染をテーマにした『ゴジラ対ヘドラ』が公開され当時のキッズにトラウマを植え付けたのが1971年である。繁殖に二枚貝を必要とするタナゴは環境汚染の影響を大きく受ける。身近な生息域が失われていくなかで、人々の興味が沖釣りやルアー釣りといったターゲットに移っていったのである。
それでも誌面では釣り場紹介や技術解説が細々とではあるが途切れることなく続き、1980年代には入門企画やグラビア記事で再び魅力が発信された。1990年代になると沖釣りが一大人気となり、再び露出の頻度が減ったものの、2000年代に入ると再評価の機運が高まり、2008年には11・12月号と連続で表紙を飾る。研ぎバリを現代にアップデートした成田臣孝氏を訪ね、実体顕微鏡を使った研ぎのハウツーを詳細に紹介したのもこの号である。
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在来タナゴの保護と、これからの釣り人の役割
一方で、各地域固有のタナゴの系統保全の意義も知られるようになった。2021年8月号では、「持続可能なタナゴ釣りのために釣り人ができること」というタナゴ愛好家・熊谷正裕さんの提言を掲載。熊谷さんは記事の中で、無秩序な放流による在来タナゴへのリスクと放流に頼らず楽しむ姿勢を呼び掛けた。
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近年では日本各地の在来タナゴの魅力を再発信する記事も増えている。2021年7月号の「川釣り探検」特集では、多彩なターゲットを求めて各地を旅するトラベルアングラーのペスカトーレ中西氏を取材。里山のタナゴ釣りに同行し、アブラボテがタイトル写真を飾った。
大名の釣りとして始まり、庶民の釣りとして広まり、文化として守られてきたタナゴ釣り。その歩みは、『つり人』80年の歴史と重なり合いながら、今も静かに、しかし確かに受け継がれているのである。末永くタナゴと付き合っていけるよう、彼らの生きる水辺を守っていきたいものである。
※このページは『つり人 2026年3月号』に掲載した記事を再編集したものです。



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