水辺から徹底して危険が排除された現代。安全と引き換えに、子どもたちは転んで起き上がる力を失いつつあるのではないか。本稿は、釣りを通じて「自然と向き合う力」を取り戻すための連載「魚釣りが育む子どもの心とカラダ」最終回。開高健『オーパ!』との出会いから、命に本気で向き合った先輩編集者の最期の言葉まで。釣りが持つ「人間の根源的な精神性」を育むメカニズムを紐解く。

レポート◎山根和明(株式会社つり人社代表)
つり人社代表取締役社長。日本釣振興会理事。大学在学中にアルバイトとしてつり人社に入り、卒業後に入社。1946年創刊の月刊「つり人」編集部に配属される。
2006年に同誌編集長、2015年に代表取締役社長に就任。釣りメディア一筋で、企画・編集・事業開発までを一貫して手がけてきた。また、釣り文化の普及と次世代育成にも力を注いでいる。著書として本連載をまとめた『カッパのいない川で子どもが育つか 「水辺」が心の底力を呼び覚ます』が発売。
私の人生を変えた一冊、開高健『オーパ!』
「一時間、幸せになりたければ酒を飲みなさい。三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。」
これは釣り紀行文の金字塔として半世紀以上読み継がれる『オーパ!』の中で、芥川賞作家・開高健が紹介した中国の古諺です。
大学生活を謳歌していた1990年代前半、私より2年上の先輩は就活時にホテルに缶詰めにされたり、豪華ディナーをご馳走になったり、旅行に連れて行ってもらったりと、どんな囲い込み接待を受けたかを自慢げに話していました。しかし、1年上の先輩の代からそのような囲い込みは減り、いざ自分の番になると囲い込みどころか採用を行なわない企業が急増。いわゆる「就職氷河期」が始まったのです。就活を甘く見ていた私は完全に出遅れ、どうしようかと焦る日々のなか、現実逃避で手に取った本が『オーパ!』でした。冒頭のこの古諺は、まるで胸を射抜くように響きました。
「自分が幼い頃から親しんできた釣りは、やはりこんなに素晴らしいものだったのだ」。偉大な作家に認められたような気がしました。そして、レスター・ブラウンの『地球白書』に「20世紀は経済中心に回っていたが、21世紀は環境が中心になる」と書かれていたのを思い出し、「21世紀は、釣りの価値が問われる時代になる」と釣り業界を志しました。
しかし途中で「待てよ」と思い直しました。このまま環境破壊が進み、魚がいなくなれば、そもそも釣りそのものができなくなる。永遠に幸せになれる趣味のはずが、その基盤が消えてしまうかもしれない。こんな不幸なことはない。そうならないためには、より多くの人に自然環境への関心を持ってもらうことが必要だ。その近道は、釣りをやってもらうことにほかならない。そう考えた私は、釣りの出版社へ行こうと決め、大学4年時にアルバイトとして編集部に入り、今に至ります。
もしあの時『オーパ!』に出会っていなかったら、まったく別の人生を歩んでいたかもしれません。
開高健が生み出したコピー「人間らしくやりたいナ」
開高健は作家になる前、コピーライターとして活躍し、サントリー・トリスウイスキーの名コピー「人間らしくやりたいナ」を生み出しました。高度経済成長のただ中、忙しさと効率に押し流されていた時代にあって、「少し肩の力を抜き、素の自分に戻りたい」という本音をそっと代弁する言葉でした。ウイスキーを傾けるひとときに、心がふっとほどける。その感覚を想像させる点に、この短い一行の魅力があります。
では、「人間らしさ」とは何でしょうか。フランスの社会学者ロジェ・カイヨワは代表作『遊びと人間』で、人が人間らしさを取り戻す瞬間には、日常の効率や目的を離れ、別の秩序に身を置く体験があると述べています。彼は遊びを「アゴン(競争)」「アレア(運)」「ミミクリ(模倣)」「イリンクス(めまい)」という四つの型に分類し、これらの体験が人を日常からそっと切り離し、本来の自分を開く作用をもつと指摘しました。また遊びには、即興的な自由=パイディアと、ゆるやかな規則=ルドゥスが交差し、そのバランスの中で人は生きる余裕や喜びを取り戻すのだと言います。
こうした視点に立つと、「人間らしくやりたいナ」という一見素朴なコピーには、後の開高健が歩む道筋が小さな芽のように潜んでいることが分かります。芥川賞受賞後の開高は、文学に安住することなく世界へ飛び出し、アマゾン、アラスカ、メコン川、モンゴル、アフリカまで、辺境の水辺を釣り歩きました。そこで味わった恐怖や高揚、雄大な風景、人間の欲望の揺らぎを、まるごと文学に結晶させていったのです。釣りは彼にとって、自然という巨大な秩序と自らの生命を突き合わせる行為でした。
釣りには、競争も運も、模倣もめまいもある。自由と規則、予測と偶然が交差する場であり、人間を日常から軽やかに解き放ち、本来の自分へと引き戻す力を秘めています。開高健が生涯をかけて追ったのは、この「遊びの秩序」そのものだったのだと言えるでしょう。世界を釣り歩きながら、人間の根源にふれるような瞬間を文学へ掬いあげ、「人間らしさとは何か」を問い続けたのです。
そう考えると、「人間らしくやりたいナ」という一行には、後に釣りの文学を切り拓く開高健の核心が、すでにひっそりと息づいていたと言えるのです。
編集長はなぜ「最高の人生でした」と笑顔で逝けたのか
私が編集部にアルバイトで入部した1994年は、まだ携帯電話が珍しかった時代で、雑然とした編集部では固定電話がひっきりなしに鳴り、通話の声が飛び交っていました。時おり、その喧騒を突き破る怒声が響き渡りました。
「てめえ、釣りを舐めているんじゃねえよ、魚は命がけでエサを食いに来てんだぞ。こんな仕掛けで捕れると思うなよ」
「お前はいったい、何を取材してきたんだ。彼がどういうフライを使っていたか言ってみろ!」
声の主はたいてい、当時『フライフィッシャー』編集長だった故・若杉隆さんです。出版業界の全盛期は1997年であり、当時、出版社の雑誌編集部はどこも似たような感じで、エネルギーが充満していました。当時の若杉さんは脂が乗った30代後半で、国内外の釣り場を飛び回っていました。
東京湾のマダイ釣りでのできごと
入社2、3年目のある日、お得意さんをもてなすためのマダイが必要だから一緒に釣りに行こうと若杉さんから誘われ、東京湾の遊漁船に乗りました。私はつり人編集部員であり、マダイ釣りの経験が何度かあり、それで声をかけていただきました。最初に500gくらいの小さなマダイを私が釣り、しばらくして大ものがヒットしました。
「よしよし、これは2kgくらいあるぞ。これがあればバッチリだ。慎重にいけよ」と若杉さん。これで肩の荷が降りるとホッとした気持ちでやり取りをしていると、あと少しというところでバレてしまいました。慌てて仕掛けを回収すると、ハリスが切られていました。
「おい、本当かよ。せっかくきたのにな。どこから切れたんだ、ちょっと見せてみろ」と若杉さんに言われ、切れたハリスを手渡しました。そのハリスの切れ端を目の前で執拗に見た後に
「おまえ、こんな結び方で大ダイが捕れると思ってんのか、釣りを舐めてんじゃねえぞ」と烈火のごとく怒りをあらわにした若杉さんに胸倉を掴まれ、船べりに押し倒されそうになりました。あまりの剣幕に、言葉を失いました。今の時代なら問題になるかもしれません。けれど、そこには魚という『命』に真剣に向き合わない者への、師匠としての純粋な怒りがありました。その恐怖に怯えながらも、「釣りとは大の大人をここまで熱くさせるのか」という感慨に包まれたことを鮮明に覚えています。
最高の人生と最期に言える素晴らしさ
若杉さんはその数年後に「つり人」の編集長になり、以降、釣りの本質のようなものを私に教えてくれました。43歳の時に舌癌の手術をして、63歳で亡くなるまでに実に6回も癌の手術をしました。癌に罹るたびに、今回はダメかもしれないと言われながらも不死鳥のように復活しましたが、6度目の手術で打つ手がなくなりました。黄泉の国に旅立つことになる1ヵ月ほど前のある昼下がり、お茶の水の大学病院に入院していた若杉さんを見舞いに行くと、清々しい笑顔で迎えてくれました。
「社長、いいところに来てくれましたね。先ほど先生と話をして、ホスピスに移ることに決めました。今までありがとうございました。本当に自分は幸せでした。たくさん釣りをして、いろいろな所に行き、素晴らしい魚に出会えました。最高の人生でした」と清々しい笑顔で若杉さんが言いました。あの時の、一点の曇りもない笑顔を、私は生涯忘れません。病室を出て涙をぬぐうと、レイチェル・カーソン女史が『センス・オブ・ワンダー』の中で綴った一節が脳裏に浮かびました。
「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じています。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
鳥の渡り、潮の満ち干き、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン―夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ―のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。」(「センス・オブ・ワンダー」(新潮社)より抜粋)。
その時がいつ訪れるかは誰にもわかりませんが、私もあんな笑顔を最期に浮かべられたらいいなと、心に刻みました。魚も鳥も熊も犬も猫も、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力を保ち続けます。人間だって本来はそのように創られたはずです。AI時代を生きる私たちだって、自然との接点を増やすことで、そうなれるのではないでしょうか。まだ心が澄んだ子どもならなおさら。
カッパが消えた代償に失ったもの
この連載は、釣りの楽しさを伝えるために始めたものではありません。
ある日、(株)龍角散の藤井隆太社長と食事をしていたときのことです。話題は少子高齢化でした。
「これだけ子どもが減っているのに、自殺や引きこもりが増えている。どう考えても普通ではありませんね。なんとかしなければなりません」。
藤井さんは静かにそう言いました。その言葉には強い違和感と危機感が込められていました。そして、「だから我が社は宇津救命丸さんと資本提携をしたんです。あの会社は子どもの夜泣きやかんのむしとずっと向き合ってきましたからね」と続けました。子どもを守るために、経営として具体的に動いたのだと言います。
私は即座にこう答えました。「釣りには、子どもの心を育てる力があります。釣りの力で、子どもたちを立て直すことができると私は思っています」。
それは理想論ではありません。実感です。人間は特別な生き物ではありません。地球に生息する動物の一種にすぎません。本来、太陽を浴び、風に当たり、土を踏み、水に触れながら生きる存在です。ところがいま、子どもたちはどうでしょうか。
日光に当たる時間は減り、歩く距離は短くなり、無菌に近い環境で管理され、室内で画面を見続ける。効率よく、失敗なく、傷つかないように整えられた生活です。便利で安全な社会を築いてきたこと自体を否定するつもりはありません。しかし、動物であるはずの人間が、動物らしく生きる時間を奪われれば、どこかに歪みが生じるのは当然です。
すると、藤井さんが言いました。「ほう、それは面白いですね。だったら、あなたがそれを書いてみたらどうですか。いや、あなたは書くべきだと私は思いますね」と背中を押してもらいました。この連載は、そのようにして始まったのです。
水辺の「カッパに注意」看板が果たしていた役割
昭和の水辺には、たいてい色あせたカッパの絵が描かれた看板が立っていました。
「暗くなったらカッパが出るから帰るんだよ」と祖母はよく言いました。「子どもはカッパの好物なんだから、一人で釣りに行くんじゃないよ」と。
いま、カッパは絶滅危惧種です。カッパの看板の代わりに水辺をフェンスで囲い、立ち入りを禁じ、危険を取り除いてきた結果です。
私たちは子どもを守ろうとしてきました。公園から遊具が消え、ボールの音が消え、運動会から順位が消えていった。事故を防ぎ、差を減らし、クレームや責任から遠ざかるために。
たしかに安全にはなりました。けれどその代わりに、転んで覚える身体の知恵や、負けて噛みしめる悔しさや、ぶつかり合いの中で身につく加減まで、私たちは一緒に遠ざけてはいなかったでしょうか。
守るとは、すべてを取り除くことではない。向き合う力を信じることです。
釣りが子どもに教える「自然の中で立ち上がる力」
自然には正解がありません。
潮は変わり、風は止み、魚は思い通りに食いつきません。だからこそ、待つ。やり直す。もう一度投げる。その繰り返しの中で、子どもは自分の足で立つことを覚えます。
若杉さんは最期に、清々しい笑顔でこう言いました。
「最高の人生でした」と。
地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、人生の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神を保ち続けられる――レイチェル・カーソンの言葉は、あの笑顔と重なります。
子どももまた、本来はそういう存在のはずです。自然の中で驚き、畏れ、考え、挑み、立ち上がる力を持っています。私たちはそれを信じきれているでしょうか。
かつて川には、「何かがいるかもしれない」という気配がありました。その気配が、想像力を育て、慎重さを育て、命への敬意を育てていました。それを消してしまったのが私たちだとしても、もう一度取り戻すことはできるはずです。
子どもを水辺へ連れ出すこと。太陽の下に立たせること。水に触れさせること。そして、少しだけ待つこと。
待つというのは、放っておくことではありません。転ぶ前に手を出すのではなく、転んだあとに手を差し出せる距離にいることです。
カッパのいない川で、子どもは育つか。
その問いの答えは、川の中にあるのではなく、私たち大人が、子どもの「育とうとする力」を信じられるかどうかにかかっています。
もう一度、川へ。
もう一度、子どもを自然の中へ。
そしてもう一度、私たちも自然の中へ。
※このページは『つり人 2026年6月号』に掲載した記事を再編集したものです。


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