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写真と文◎編集部
この記事の概要
・レジャーである釣りの社会的な意義は軽視されてきた
・英国での調査などにより、釣りとメンタルヘルスの関係が証明されつつある
・釣行が心の健康によい影響をもたらすとすれば、その価値はレジャーにとどまらず公的な健康政策の一部となりえる
・その認識がもっと一般的になれば、釣り場を守り文化を未来に伝えていくことにも、大きな意味を持つだろう
注目される釣りの治癒力
先日、ときの内閣総理大臣・石破茂さんが、国会での答弁にて公益財団法人・日本釣振興会の活動に言及されたことをご存知だろうか。これは2025年3月6日の参議院予算委員会でのこと。教師から議員になり不登校や引きこもり支援に取り組む下野六太さんの質問への答弁で、下野さんの働きかけで実現した、釣りで不登校や引きこもりを予防して社会復帰を促す同団体の取り組みを高く評価。政府としても同様な民間団体の取り組みをできるかぎり支援していくと述べたのだ。
内閣府によると15〜64歳で引きこもり状態となっている人は50人に1人にのぼる。各分野で深刻な人材不足に直面している我が国では、高いストレスに曝される現役世代の心の健康をいかにして保ち社会で活躍してもらうかが重要な問題である。また、最近の国政選挙の争点にもなっているとおり、医療費の財政圧迫と財源の捻出は喫緊の課題となっている。厚労省の統計では心療内科の医療費も年々増加の一途をたどり、令和4年度には1千億円を突破。これは循環器科や婦人科と同等の水準だ。その情勢の中で、メンタルヘルスにおける釣りの役割はこれまで以上に注目されていると言っていい。
私たち釣り人からすれば、釣りが精神面によい影響を与えることは自明のことのように思えるが、社会の中での釣りはあくまで遊び・レクリエーション・道楽として捉えられ、その社会的意義は軽視されてきた。
その一方、近年ではさまざまな調査によって、釣りとメンタルヘルスのポジティブな関係性も証明されつつある。
そこで本稿では、近年の研究を紹介しつつ、精神面に対する釣りの効能と、それが明らかになることによる釣りの社会的地位の向上と意義を考察する。レクリエーションの枠を超えた釣りの進化を、改めて見つめ直したい。
英国の調査にて
釣りとメンタルヘルスとの良好な関係性を裏づける研究が、2023年に英国で発表された。アルスター大学やクイーンズ大学ベルファストなどに所属する著者らが英国内の釣り人を対象に行なった調査をまとめた論文が、査読付きの医療系ジャーナル「Epidemiologia」に掲載されたのだ(『Mental Health and RecreationalAngling in UK Adult Males: ACross-Sectional Study』)。おもにSNSによって募集した同国の釣り好きを対象としたアンケート調査を行ない、釣りの頻度と精神状態の関連性を検証したものだ。アンケート調査ではあるが、精神面の分析には臨床心理学の現場でも使われる信頼性の高いテストが用いられているので、これまでの調査と比べても客観性が高い。この調査で明らかになったのは、釣行頻度が高い人ほどうつ病・統合失調症・自殺念慮・故意の自傷行為の診断を受けている可能性が低いことと、良好な精神状態を示すテストのスコアが高く、うつ・不安症状を示すスコアが低かったことだ。統計学的な解析によって釣りの頻度と精神状態の良好さにはっきりとした相関が示された格好だ。
ただし、両者の因果関係は不明なので、釣りに行くことがメンタルヘルスを改善するのか、精神状態が良好だから釣りにたくさん行けているのかはわからない。だが、森林浴やウォーキングなど緑の豊かな屋外での活動が、ストレス反応を緩和することがホルモン濃度・血圧・心拍数などの変化から確認された研究もあるため、釣りがストレスの緩和に有効だと主張することも充分可能だろう。この点については、釣行時の精神状態の変化を観察して因果関係を示すようなさらなる研究が行なわれることを期待したい。
なぜ釣りはこころを整えるのか
私たち釣り人は、釣りがメンタルヘルスによい影響を与えることを経験からも実感している。その理由を考察してみよう。
まず、釣りを経験することで自己肯定感を育てられること。釣りの楽しさの本質は実際に魚を手にすることではなく、魚を手にするための試行錯誤の過程にある。誰も答えをもっていない自然を相手に、自分なりにアレコレ試した結果として魚から反応が返ってくると、とくに子どもにとって貴重な成功体験となる。現代社会では、仕事や人間関係の中で成功や承認を得ることが難しくなっている人も多い。そんな中で、自分の選択と工夫によって結果を得られる釣りは、「自分にもできた」と思わせてくれる貴重な体験であり、困難に直面しても前向きに考える力が育つ。
また、水辺に立って魚と向き合うことで、必然的に日常生活から離れたものに意識を向けられる点も重要な効能だ。
たとえば仕事のストレス。若者はたいてい仕事で失敗し上司や先輩から指導を受ける。ここでナニクソと向上心につなげて成長できる人もいれば、追い詰められて精神を病んでしまう人もいる。そこまで追い詰められる前に状況を改善する手段もあるように見えるのだが、本人は極度のストレスに曝されて視野が狭くなり、取り得る選択肢を見失ってしまうように見受けられる。
そんなときに水辺でロッドを振れば、ストレスの原因になっているもの以外にも意識を向けられる余地が生まれ、状況を改善する行動も思いつきやすくなるだろう。渾身のキャストにねらいどおり魚がヒットしてくれれば、宇宙とかユニバース的なものから肯定された気分になり「ヨッシ! 明日はムカつく先輩にひと言モノ申してやろう」といった心境で出社できるようになるかもしれない。まぁ、つり人社のようなまともな企業であれば、先輩が怒りまくっている理由はたいてい私自身の未熟さにあるため、さらなる反省を促されるだけなのだが、八方塞がりになるまえに行動を変えるきっかけをもらえるのが重要なのだ。もし釣りに行っても嫌な気分ばかりが襲ってくるようなら、うつ病の初期症状の可能性に気づき、医療機関に頼るという判断もできるだろう。
事実、英国では近年「ソーシャル・プリスクライビング(社会的処方)」という医療アプローチが拡大している。これは、医師が患者に対して薬ではなく地域の活動や自然との関わりを処方するというもので、うつ症状や不安障害の患者に釣りや園芸、ウォーキングなどを勧めるケースが実際に存在する。
このように気分が落ちている人を前向きな気持ちにしてくれるとしたら、釣りを趣味とする人間として誇らしいことだし、未経験者もどんどん釣りに誘って楽しさを経験してもらいたくなる。
さらに強調したいのは、釣りのメンタルヘルス効果が個人の癒しにとどまらず、社会的にも意義を持ちうるという点である。先に述べたとおり、精神疾患にかかる医療費も年々拡大し、働く世代の心の病が社会保障制度を圧迫しうる状況となっている。
もし釣りという行為が、精神疾患を未然に予防できるならば、その価値はレジャーの枠を超えて、公的な健康政策の一部として考えられても不思議ではない。
釣りが好きで自然に惹かれる行動には、人の健康にも影響を与えうる力があるということを広く理解してもらうことが、釣りというレクリエーションの地位向上につながるのである。
釣り人の声が届かない現実を変える力にも
釣りの社会的地位向上は、行政の意思決定に釣り人の声を届けやすくすることにもつながる。
日本の多くの地域では、釣り対象魚の生息域が開発や治水事業の対象となることが珍しくない。川辺がコンクリートで固められたり、水源地の開発が渇水の引き金となったりする事例は枚挙にいとまがない。また、さまざまな理由による釣り禁止区域の拡大は釣り文化の継承に重大な脅威となっている。
そのような流れの中で、釣り人の声は「趣味人のワガママ」として片付けられがちである。「釣り=遊びであり、遊びに公共性はない」という固定観念から、釣り場を守りたい、魚の生息環境を守りたいと願う釣り人の発言は、利害関係者であるにもかかわらず、公共的な意義を認められにくい現状がある。
こうした状況において、英国の研究などによって釣りのメンタルヘルスへの効果が証明されつつあることは、極めて大きな意義を持つ。なぜなら、釣りを「レクリエーション=遊び」ではなく、「パブリックヘルス=公衆衛生に資する行為」と再定義することで、釣りという活動に公共性が生まれるからである。
つまり、釣り場の保全は単なる趣味のための要求ではなく、地域住民の心身の健康を支える社会基盤の維持として位置づけられる可能性が出てくる。
月刊つり人2024年11月号では「釣り人のためのパブリックアフェアーズ入門」と題し、釣り人が社会のルール作りに参画するための方法論を取材した記事を掲載した。取材したのはロビーイングのための戦略的な情報発信や利害関係者との合意形成を支援する専門のコンサルティングファーム。興味がある方はぜひ参照していただきたい。
そこで教えてもらったのも、自分たちの意見の公共性を繰り返し訴えていくことの重要性だった。釣り人だけが得をするのではなく、社会全体にとって利益があることだと異なる立場の人へも伝え、味方を増やしていくことが合意形成を図るうえで極めて重要なのだ。
自分たちの行動に健康的・社会的意義があることを釣り人自身が認識し、それを発信していくことが、今後の釣り文化にとって重要な転換点となるだろう。これまで「釣り場が減って困る」「禁止されて残念だ」としか語れなかった言葉を、「釣りは心の健康に役立っている」「地域の活力を支えている」
という公共的な語り口へと広げていくことは、まさに味方を増やすためのコミュニケーションだ。
現在、我が国の政策立案の現場では内閣府の号令のもと「EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング)」という考え方が推進されている。和訳すれば証拠に基づく政策立案であり、要するに従来のように特定の団体からの陳情などを参考に政策を決めるのではなく、問題を解決するための政策を統計や学術データなどの根拠をもとに立案しましょうというもの。
水産資源管理のグダグダっぷりなどを見ると、まだまだその方針が徹底されているようには見えないものの、ともかく将来的にはそのように国の舵取りがなされることが期待されている。その流れの中にあって、行政や政策立案者へ釣りの意義をエビデンスとともに伝えるためにも、釣りとメンタルヘルスの研究には大いに注目していきたい。
石破総理が国会という公の場で述べたように、パブリックヘルスに対する釣りの効能が公的な価値として認められつつある。ただの道楽と見られがちだった釣りを愛する私たちは、それが社会に寄与する力があるという確信を胸に、多くの人にその価値と楽しさを知ってもらうことにも力を注いでいきたいものだ。