ほんの100年前まで、渋谷や六本木の街角にも美しい小川がせせらぎ、湖沼が広がっていました。その多くがコンクリートの下へ姿を消した現代にあっても、東京のすぐそばには逞しく息づく「多摩川」という大自然があります。
このコラムのテーマは、「川と魚が子どもに教えてくれること」。高度経済成長期の「死の川」から奇跡的な再生を遂げた歴史や、そこに生きる逞しい魚たちのエピソードを通し、自然と向き合うことの尊さを綴ります。
レポート◎山根和明(株式会社つり人社代表)
協力◎株式会社龍角散、宇津救命丸株式会社、樋屋製薬株式会社
この記事のAI要点(30秒で把握)
- 「死の川」から復活した多摩川の今: アスファルトの下に消えた東京の原風景と、「死の川」から復活をとげて多くの魚が泳ぐ多摩川の知られざる今。
- 「コイ=外来魚」という誤解。: かつては憧れの高級魚だったコイ。臭くて嫌われる外来魚のイメージになってしまった裏には、人間の身勝手な歴史が隠されていました。
- SDGsを学ぶより、川で泥まみれになろう。: 教室で環境問題を暗記するより、身近な自然に触れること。知識ではなく「感覚」で自然を知る体験が、子どもの心を育てます。
日本は「世界屈指の魚の王国」
早いところでは2月、全国平均では3月1日を渓流釣りの解禁日に設定している河川が多いです。渓流のヤマメやイワナ、そして清流のアユ釣りでは、ほとんどの河川に解禁期間が設定されています。そして、釣りをする上で必要になるのが、遊漁券です。ここが海釣りと違うところです。子どもを釣りに連れて行く際に覚えていてほしいことがあります。川で釣りをするという行為は、自然とどう向き合うかを学ぶ入口でもある、ということです。
海を泳いでいるマダイやアジ、サバといった魚は、誰のものでもありません。法律上は「無主物」とされ、漁師のものでも釣り人のものでもなく、原則として誰でも釣ることができます。川の魚も、特定の個人の私物になるわけではありません。けれど海と同じように「誰でも好きに獲っていい」としてしまうと、すぐに枯渇してしまう。そこで日本では、河川の管理者である地元の内水面漁業協同組合(漁協)に増殖義務を課し、釣り人は遊漁券という形でその仕組みに参加するという設計がされてきました。
具体的にヤマメやイワナ、アユなどには漁業権が設定され、釣り人は遊漁券を購入し、解禁期間を守って釣りを楽しみます。その遊漁料は、稚魚の放流や産卵場の整備など、次の世代へ魚を残すために使われています。少し面倒に感じるかもしれませんが、この仕組みがあるからこそ、日本の川には今も魚がいて、子どもでも手軽に釣りを楽しめる環境が保たれてきました。
海外で感じた「釣りができる平和」
日本は海流に浮かぶ島国でありながら、列島の中央部に連なる3000m級の山々から幾筋もの川が生まれて海に注ぎます。その数、3万5000本以上ともいわれます。日本は島国であると同時に川の国でもあるのです。この小さな国では、海と川を合わせて4500種以上の魚類が確認されています。世界の魚類多様性の中でも、特筆すべき密度です。
そしてさらに、川や湖沼、海岸は特定の誰かのものではなく、国民の共有財産といえる存在です。ヨーロッパには川や湖沼が私有とされるケースが少なくありません。また、国民の共有物であっても、大陸の一部地域では川や沿岸が国境となり、軍の管理下に置かれて一般人が近づけない場所も存在します。
以前、タイ王国にアオリイカを釣りに行ったときのことです。バンコクからクルマで2時間ほどのバンサレーという漁村から木造船に乗って出航し、沖合の無人島の周りをねらいました。私は浅いポイントをキャスティングで釣りたかったので、できるだけ島に近づいてくれるようタイ在住の同行者を介して船長に頼みました。しかし、何度言っても、近づいてくれません。痺れを切らし、ボディランゲージで「もっと島に近づいてください」とお願いしたところ、船長が指で鉄砲の真似をしました。船長が言うには、この島は軍が管理していて、これ以上近づくと威嚇射撃されると言うのです。タイは微笑みの国と呼ばれ、ある意味日本以上に治安がいいと言う印象でしたが、そのギャップに驚きました。日本で当たり前のようにサオを振れる環境が、決して当たり前ではないことを思い知らされました。
大都市TOKYOの身近にも自然はある
「春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや 小ぶなのむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら」
これは1912年(明治45年)に発表された文部省唱歌「春の小川」の一節です。この日本の原風景のような小川はどこを流れていたかご存じでしょうか? 意外に思うかもしれませんが、東京都渋谷区代々木を流れていた河骨川(こうほねがわ)といわれています。渋谷といえば若者のファッションの最先端をいく街であり、自然とは無縁のイメージがあります。しかし、ほんの100年前まで、渋谷にはこんな牧歌的な風景が広がっていたのです。残念ながら河骨川は暗渠になっていて今は拝むことすらできません。
コンクリートの下で生き続ける川
渋谷と並び若者に人気な六本木。この地名の由来にも諸説がありますが、大きな木が6本あったというのが有力です。現在の港区芝の沖合は江戸時代、とてもいい漁場で、漁師がヤマダテに六本木の大木を用いていたそうです。
六本木から外苑西通りを越えた南麻布の閑静な住宅街の一角に、衆楽園というヘラブナの釣り堀が最近までありました。私も何度か楽しませていただきましたが、惜しくも2018年に閉園。店主だった坪田英子さんによると、この辺りは明治時代、沼沢地(しょうたくち)で金魚の養殖場が点在していたそうです。衆楽園も元は金魚の養殖場で昭和に入ってからヘラブナの釣り堀を始めたとのことでした。
渋谷、六本木、麻布。流行の最先端をいくこの辺りにも、昭和の初期くらいまでは豊かな自然があり、きれいな川や沢や湖沼があったのです。しかし今、都会を流れていた川の多くはコンクリートで囲われて単なる水路と化したか、アスファルトの下に閉じ込められ、その姿を消してしまいました。しかし、たとえ人の目から隠されても、水の流れが止まったわけではありません。むしろ、今なお空を映して流れる大きな川に目を向ければ、そこには私たちの想像を超える、自然の静かな自浄のドラマが繰り広げられています。
その逞しさを、いま東京で最も分かりやすく見せてくれる川。それが、多摩川です。
「死の川」から生き返った多摩川
現在の日本の玄関口ともいえる東京国際空港(羽田空港)。ここは多摩川の河口部に位置します。多摩川は高度経済成長時代に「死の川」と呼ばれました。流域人口の急増に下水道整備が追いつかず、生活排水や工場排水が未処理のまま流入した結果、水質が急速に悪化。川は黒く濁り、強い悪臭を放ちました。魚類は激減し、下流域では生物がほとんど見られませんでした。白い泡が水面を覆い、東急線の車窓を開けていると、その泡が風に乗って車内に入り込むことさえありました。私が幼少期の多摩川は排水路同然の状態だったのです。
水質が改善し魚が戻る
しかしその後、流域で下水道整備が急速に進められました。未処理排水の流入が減少し、1980年代以降水質は良くなっていきました。今ではハゼ、テナガエビ、シーバス(スズキ)、ヘラブナ、コイ、アユなどたくさんの魚が戻ってきました。10年ほど前からは、クロダイがよく釣れるようになりました。豊富なエサを求めて東京湾から入ってくるのです。
私も一度釣ってやろうと5年ほど前に初めて多摩川でクロダイをねらったところ、49cmと53cmが立て続けに釣れました。多くの人が行き交う京急川崎駅から徒歩でアプローチできるポイントです。記念撮影をしていると、土手から子どもを連れたお母さんが駆け下ってきて「きゃー、すごいですね、こんな大きな魚がここにいるんですね、知りませんでした。これは、なんていう魚ですか?」と興奮して矢継ぎ早に聞いてきます。
「ああ、これはクロダイという魚です」と私が答えると「ええ~っ!? タイですか、タイは海ですよね、タイがいるんですか?」とさらにヒートアップするお母さん。その後も、どうやったら釣れるのかとか、この子でも釣れるのかとか、釣った本人よりもはるかに通りすがりのお母さんのほうが興奮していました。
多摩川だけではありません。荒川や江戸川、隅田川など、世界有数の大都市、東京を流れる川で今はさまざまな魚を釣ることができます。ただ、そこに魚がいる、釣りを楽しめるということがあまり知られていません。これはとてももったいないです。
2017年から日本釣振興会が実施している「多摩川フィッシングフェスティバル」では、下流部の殿町エリアでハゼ釣り教室を行っています。参加者に話を聞くと、「こんな場所で釣りができるなんて知りませんでした」と口をそろえます。「川にも満潮とか干潮があるんですね」と驚かれる方もいます。この場所は、10年ほど前まではほとんど釣り人の姿が見られませんでした。しかし、毎年フィッシングフェスティバルの会場として使われるようになると、少しずつ人が集まり、今ではすっかり人気の釣り場になりました。
映画『蟹の惑星』に見る干潟の変化
ところで、多摩川下流部に干潟が広がっているのをご存じでしょうか? 下流部に架かる六郷橋や大師橋から川を見ると茶色く濁って見えますが、これは川の濁りではなく干潟の色です。実際に、川に入って水をすくってみると、水自体は澄んでいます。東京湾の湾奥エリアとしては最大級の200ヘクタールほどの干潟が多摩川下流域に広がっているのです。
少年時代、母の実家がある福岡県柳川市に帰省した際の楽しみのひとつが、有明海での干潟遊びです。有明海は干満差が6m以上もあり、干潮時にははるか沖合まで広大な干潟が出現します。干潟に立つと「ジー」という音が聞こえます。初めて聞いたときは電子音のような感じでしたが、なんと干潟にいるカニが出す音でした。シオマネキやスナガニなどのカニがプラネタリウムの星みたいに干潟の上に無数に散らばっていて、その周囲をムツゴロウが飛び跳ねます。全身泥まみれになってカニやハゼ類を追いかけ回して遊んだものです。
今から10年ほど前、多摩川下流部の干潟で大きなシジミが採れると話題になりました。実際、スーパーではお目にかかれないような立派なシジミがゴロゴロいました。それ以上に私が感動したのは、無数のシオマネキがハサミを振って求愛のダンスをしていたことです。まさか、東京でこんなシーンを見られるとは思いもしませんでした。しかし、その後、大規模な橋脚工事があり、カニやシジミは減りました。
2019年に『蟹の惑星』というドキュメンタリー映画が放映され、多摩川下流で15年間カニの観察を続ける研究者をクローズアップしていました。その映画の中でも、工事が始まってから明らかにカニの数が減ってしまったと研究者が嘆いていました。自然は戻ることもありますが、壊れるのは一瞬です。今でも暖かくなるとカニを見られますが、あの頃の数には及びません。
子どもたちに伝えたい自然への畏敬
大粒のシジミがゴロゴロしていた当時、私はカープフィッシング(ヨーロッパスタイルのコイ釣り)でよく多摩川を訪れていました。置きザオにしているサオの先端にカワセミが止まったこともありますし、空を悠然と舞うオオタカを見たことがあります。下流部の干潟は、冬にはスズガモ、オナガガモ、オオバン、ホシハジロといった渡り鳥が大挙します。この部分だけを切り取ったら、誰も東京の川とは思えません。
その頃、スペイン人の日本語教師ロベルトさん、フランス人のカメラマン、シルバンさんと何度か一緒に釣りをしました。2人とも、「こんなに素晴らしい釣り場は母国にはない」と暇さえあればサオをだしていました。魚が釣れると、まるでわが子のように丁寧に扱い、ハリが刺さったところには、消毒液までつけてリリースしていました。長年生きてきた魚へのリスペクトを感じずにはいられませんでした。
ある時、多摩川中流域で釣りをしていた中学生の3人組がコイを釣りあげ、「なんだよ外来種かよ、きもいんだよ」と足で蹴って川に戻していたので注意したことがあります。そのうちの一人が言いました「だって触ると臭いじゃん」と。
臭いのはコイではありません。たとえば、奥琵琶湖のような水のきれいな場所で釣れたコイなど、全く臭みがありません。コイが臭いというイメージが浸透したのは、私たち人間が川や湖沼を汚したからです。コイは環境変化への適応力に優れていて、他の魚介類が生息できないほど汚濁された水の中でも、なんとか生き残ることができたのです。その結果として、汚濁された水のニオイが染みついてしまったのです。汚濁に耐えて生き抜いた彼らの逞しさは、本来なら称賛されるべきものです。それなのに「臭い」という理由で忌み嫌われるのは、あまりに身勝手な人間の論理ではないでしょうか。
コイが外来種だと勘違いされるようになった理由
さらに同時期に、あるバラエティ番組でコイは外来魚だから駆除すべきと喧伝したために、コイのイメージが著しく悪化しました。コイは縄文時代の貝塚からも骨が出土していますし『日本書紀』や『風土記』にも登場します。それにも関わらず、世間では、なぜコイを外来種として見てしまうようになったのでしょうか。エンターテインメントとして消費される情報の中で、命の扱い方がいつの間にか軽くなってはいないか―― 私はそんな危惧を覚えます。
ここで、なぜコイが外来種だと勘違いされるようになったのかを、誤解を解くために整理しておきます。明治以降、食用として成長が早く、鱗の少ないドイツゴイ(ミラーカープ)が日本へ移入され、在来のコイと掛け合わせられました。その結果、各地に交雑個体が広がっていったという歴史があります。そうした個体は、その後何代にもわたって世代交代を重ね、すでに長い時間を日本の川や湖で過ごしてきました。それにもかかわらず、今なお外来種扱いされるとしたら、それは生き物の側ではなく、私たち人間の理解の仕方に問題があるのではないでしょうか。
「鯉は一日一寸」と崇められた時代
私が子どもの頃、コイは憧れの魚でした。「鯉は一日一寸」という格言を聞いて、どれだけ賢く、手強い魚なんだろうとリスペクトしていました。コイは警戒心が強いので10寸(約30cm)のコイを1尾釣るのに10日は釣り場に通わなくてはならないという意味です。当時、デパ地下の中華料理屋にはだいたい、コイのあんかけ料理がありました。ショーケースに並ぶ食品サンプルの中でも、間違いなく一番高かった。「一度でいいから食べてみたい」。そんな高嶺の花でした。
そして、いつからだったでしょう。中華料理屋から、コイのあんかけ料理は姿を消しました。あのショーケースの一番上にあったコイ料理が消えた頃から、川と魚と私たちとの距離も、大きく変わってしまったのだと思います。
まずは身近な自然を知ることから
「春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に」
この環境を取り戻すのはまだ相当先の話だと思いますが、多摩川や荒川といった都市河川にも自然が戻りつつあります。だったら、次は私たちが距離を戻す番です。遠い国の環境破壊を憂いて「SDGsが大事だ」と唱える前に、まず身近な自然を知ってほしい。子どもに触れさせてほしい。泥の感触を。潮の匂いを。生きた魚の重みを。
knowledge(知識)ではなく、feel(感覚)で理解した自然は、簡単には捨てられません。守りたいという気持ちは、そこからしか芽生えないと私は思っています。そうして育った子どもは、「在来種」や「外来種」より先に「生き物」として、そこに生きる魚を自ずとリスペクトするはずです。


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