1946年創刊の小誌『つり人』は今年80周年を迎えた。その歴史のなかで多くの釣りやターゲットを取り上げてきた。現在のロックショアシーンはPEラインをはじめとするタックルの進歩があってのものだが、それ以前の時代にも憧れの大物と渡り合う舞台が磯だったのだ。

文と写真◎月刊つり人編集部
1946年創刊の雑誌「月刊つり人」を始め、数々の釣りに関するコンテンツを作成してきたつり人社の編集部。
目次
磯釣りは戦前から花形だった~タックルの進歩とともに歩んだ大物釣りの歴史
日本の釣りにおいて磯釣りは戦前から花形ジャンルであった。現在ではグレが磯の代名詞だが、昭和の時代はイシダイをはじめとする底物がグレ以上に盛んに取り上げられていた。
特筆すべきは早くからリールが使われていたこと。足場から水面までが遠く、また底物ねらいとなればノベザオでは仕掛けを魚まで届けられないから当然ではあるが、前号で紹介したアジの船釣りで長く手釣りが紹介されていたことと好対照で面白い。
そういった魚に対するタックル類のアドバンテージをフルに生かしてもなお、手にするのが難しいのが磯の大物釣りであり、それこそアマチュアの釣りファンが強烈なファイトの好敵手を求めて磯に通い込んでいた理由であろう。それは今日のロックショアにも通じる。その一方で、キャスティングを繰り返すルアーによるショアゲームは使えるラインの太さに限界があり、大物志向が高まるにはPEラインの登場を待つ必要があった。
そこで今回は、イシダイ、ブダイ、モロコ、フエフキといったエサ釣りのターゲットに絞り、昭和の大物磯釣り事情を紹介したい。
イシダイ釣りの発展~戦前から戦後にかけてのタックルと釣法の変遷
戦前~戦後にかけてのイシダイ釣りの発展は、1952年10~11月号に掲載された日本磯釣倶楽部・三谷嘉明氏と長岡輝衛氏の対談が詳しい。リールを使ったイシダイ釣りのパイオニア的存在だった彼らが、イシダイを求めて伊豆に通い始めたのが1937年ごろ。当時は長さ3・5~4間(6~7m)の物干しザオのような極太のノベザオに、三味線糸やマンドリンの糸の仕掛けを張り、強引に引っ張り合う釣りが行なわれていたという。
しかし、それでは仕掛けの長さが足りず中層しかねらえないし、太イトでは食いが悪いため、リールを使うためにクロダイザオを改造するなどの試行錯誤をしていた。記事掲載時、彼らが使っていたのは3間前後(5・4m)のサオにワイヤーハリスを使った中通し仕掛けのタックルで、太平洋戦争が始まった1941年前後にはこの原型ができていた。
大物ねらいのタックル論争~長岡氏と三谷氏のスタンスの違い
ちなみにこの記事が掲載されたころにキャッチされていた最大クラスは1貫800匁(6・8kg)で、2貫800匁(10・5kg)が釣られた話も噂程度に聞こえていたという。対談では、大物ねらいが前提である以上2貫(7・5kg)や3貫(11kg)の魚も余裕をもって上げられるタックルを使いたい長岡氏と、とはいえ現実的に遭遇するサイズは2貫に届かないからライトなタックルでチャンスを増やしたい三谷氏の間で口論に発展しているのが面白い。
当然のように当時から競技会も開催されていた。1949年11月号では東伊豆で行なわれた日本磯釣クラブの大会の模様がレポートされている。ターゲットはイシダイで27名が参加。計5貫600匁(21kg)を釣った石野氏が圧勝
ブダイのハンバ釣り~冬季の磯を彩った重要ターゲット
ブダイも大物磯釣りファンにとって重要なターゲットだった。イシダイの釣果が遠のく冬季に、ハンバ海苔をエサにして1尺2寸(36cm)前後の棒ウキを使った「ハンバ釣り」が行なわれていた。夏季にカニエサで釣るブダイは若干の臭みがある一方、ハンバを食べている冬は刺身やチリ鍋にすると美味とされている。
1950年12月号では東伊豆一帯のハンバ釣りが紹介されて、サオは「3間(5・4m)くらいの腰の強いもの」、ハリは「1寸(3cm)くらいの伊勢尼」を薦めている。
フエフキダイ~高度経済成長期に離島遠征で人気が高まったターゲット
高度経済成長真っ只中の1967年1月号が伝えたのは三宅島のフエフキダイだ。所得が増え離島への遠征を行なう釣り人も増えていた。ミチイトは20~26号が推奨されている。
有望ポイントと紹介されているニッパナは、2026年6月号でも三宅島在住の蛯子嶺樹さんが紹介しており、変わらぬ豊かさが伺える。
モロコ(クエ)釣り~イシダイファンがさらなる大物を求めて転向
1970年8月号では、モロコ釣りに転向するイシダイファンが増えていると伝えている。タックルの進化を背景に、より大きな魚をねらう機運が高まっていたようだ。ミチイトは30~50号が推奨されている。
シマアジ・ヒラアジ・カッポレ~80年代に過熱した磯の大物ブーム
このころになると上物釣りのターゲットとしてアジ科の大型魚の釣りも確立されてきた。1973年6月号によると、サオはイシダイ用またはモロコ用を流用し、シマアジの大物には20~30号、さらに大型のヒラアジには40号以上を150m以上巻く。ドウヅキまたは中通し仕掛けを使ったブッコミと、ウキ釣りの両方が試みられていたようだ。
さらに時代が下ると大物志向がますます熱を帯び、1983年10月号では奄美群島・徳之島で38kgのカッポレが、小笠原・ケーター列島では56kg・182cmのイソマグロが沖磯でキャッチされた模様がレポートされている。釣り方はいずれもムロアジの泳がせで、ラインはそれぞれ30号と60号である。
現在のPEラインを用いたタックルでも困難極まるサイズが取り込まれていたのは驚きであり、記録更新をねらう今日のルアーマンへのエールにもなるのではないだろうか。
※このページは『つり人 2026年6月号』に掲載した記事を再編集したものです。



