「台風が来る前は魚がよく釣れる」釣りを長くしている人なら、一度は聞いたことがあるだろう。理由としてよく語られるのが気圧だ。台風が接近すると気圧が下がる。すると魚の浮き袋が膨らんで魚が浮き、活性が上がる。あるいは、これから海や川が荒れることを魚が察知して、その前に荒食いする――。
確かに、台風が近づいているときに妙によく釣れた経験はある。逆に、期待して出掛けたのにさっぱりだったこともある。では、本当のところはどうなのだろう。魚は台風が来ることを知っているのか。そして本当に、台風の前には魚が釣れやすくなるのだろうか。

写真と文◎山根和明(株式会社つり人社代表)
つり人社代表取締役社長、日本釣振興会理事。大学時代から「月刊つり人」編集部に携わり、2006年編集長、2015年より現職。30年以上にわたり釣りメディアの企画・編集に携わる。著書に『カッパのいない川で子どもは育つか』(2026年)。個人note「それ、ヤマネに聞いてみよう。」では、釣りや自然、編集、仕事など、読者から寄せられた質問に答えている。
魚は圧力変化に敏感!オックスフォード大学の実験
まず確かなのは、魚が水圧の変化を感じているということだ。魚の多くには「浮き袋」がある。体内にあるガスの入った袋で、その浮力を利用して水中で体を安定させている。魚が深い場所へ潜れば水圧が高くなり、浅い場所へ上がれば低くなる。その変化に対応しなければ、同じ水深にとどまることができない。ホウボウを釣りあげると、本当に「ホウ、ボウ」と鳴くので最初は驚くかもしれないが、あれも浮袋が鳴っているのだ。
実際、魚が水圧を手がかりに水深を把握していることは、実験でも確かめられている。2021年、英オックスフォード大学の研究チームは、メキシコに生息する小型の淡水魚を使った実験で、魚が水深によって変わる水圧だけを手がかりに特定の水深を学習し、そこへ戻れることを示した。つまり、魚は圧力変化を感じる能力を持っているのだ。
ただし、魚が圧力の変化を感じ取れることと、その変化の原因まで識別していることは別の話だ。圧力が変わったのが、自分が泳いで水深を変えたからなのか、それとも台風が近づいて大気圧そのものが下がったからなのか。圧力の感覚だけで、その二つを区別できるとは限らない。
では、台風による気圧低下は、魚にとってどれほど大きな変化なのだろうか。
台風で30hPa下がっても、水深にすれば約30cm
ここで、ちょっと面白い計算をしてみよう。水中では、深く潜るほど水圧が高くなる。淡水なら水深が約10cm増えるごとに、水圧はおよそ1kPa(キロパスカル)高くなる。1kPaは10hPa(ヘクトパスカル)なので、逆に言えば、大気圧が10hPa下がることは、圧力だけを比較すれば魚が約10cm浅いところへ移動したのと同程度の変化になる。
では、台風接近によって気圧が30hPa下がったとする。水深に換算すれば、およそ30cmだ。もちろん、魚が非常に小さな圧力変化を感知できることと、その変化が摂餌行動を大きく変えることは別問題だ。しかし少なくとも、「台風で気圧が急低下する→浮き袋が大きく膨らむ→魚が浮いてくる→活性が上がって爆釣する」という単純な説明には疑問が残る。魚は普段から、それ以上の圧力変化を上下移動によって経験しているからだ。
そもそも「魚が浮く」と「魚が食う」は別の話
もう一つ見落とされがちなことがある。仮に気圧低下によって魚の浮力や泳ぐ水深に何らかの変化が起きたとしても、それだけでは「よくエサを食べる」ことの説明にはならない。魚が浅い場所へ移動することと、食欲が増すことは別問題だからだ。
ところが釣りの世界では、「低気圧になる→魚が浮く→活性が上がる→釣れる」という説明をよく耳にする。このうち「魚は圧力変化を感じる」ことには科学的な裏付けがある。しかし、その先の「だから食欲が増す」までを一直線につなぐ根拠は、少なくともそれほど単純ではない。ではなぜ、台風前に魚がよく釣れたという経験を持つ釣り人がこれほど多いのだろう。ここからが面白い。
台風前は魚の行動が変化する?実際によく釣れたケースも
ある年の9月、東京湾内の海釣り施設を訪れたときのことだ。狙いは回遊魚だったが、投げ釣りファンが、ブッ込み釣りでイシモチをクーラーボックス満タンに釣っていた。
「こっ、これ今日ここで釣ったんですか?」と私が驚いて尋ねると、その方は涼しい顔で答えてくれた。
「はい、台風が向かって来ていますよね。シケる前には、必ずといっていいほど、イシモチが爆釣するんです。岸に寄ってくるんですかね」
少なくとも東京湾において、イシモチは古くから船釣りの人気ターゲットである。砂泥底の海底付近を狙う釣りで、ポイントによっては水深20〜30m、さらに深場を狙うこともある。ところが、その海釣り施設でイシモチが釣れていたのは、水深10mにも満たない桟橋際だった。船釣りを上回るような釣れっぷりだったのである。
イシモチの標準和名はシログチ。その名のとおり、釣り上げると「グーグー」と鳴くような音を出す。先述のホウボウ同様、音を出す際に使っているのが浮き袋で、その周囲にある特殊な筋肉を収縮させ、浮き袋を振動させることで音を響かせている。
では、この浮き袋で気圧の変化を感じ、シケる前に浅場へ移動してくるのだろうか。はっきりしたことは分からない。ただ、少なくとも私が目撃した釣り場では、台風接近前、普段なら船で狙うイシモチが水深10mにも満たない桟橋際へ押し寄せていた。
魚が感じ取っているのは気圧だけではない
台風が近づくと変わるのは気圧だけではない。風が強くなる。波が高くなる。空は雲に覆われ、光量が落ちる。海ではウネリが入り始める。河川では雨が降れば流量が増え、ニゴリが入る。沿岸では波によって海底がかき回される。そして、エサとなる小魚や甲殻類などの動きも変わる。
つまり、人間は天気図を見て「気圧が下がった」と一つの数字で台風を捉えるが、魚が暮らす水中では環境そのものが大きく変わり始めているのである。
ハリケーン接近で魚が移動?行動追跡調査が示す真実
実際、ハリケーン接近時の魚を追跡した興味深い研究がある。2017年、アメリカ・ノースカロライナ沖で、研究者たちはグレー・トリガーフィッシュ(モンガラカワハギの仲間)に発信器を付け、その行動を追跡していた。そこへハリケーン「ホセ」と「マリア」が接近した。研究者にとっては、魚が嵐にどう反応するかを調べる天然の実験場になった。
すると魚の行動は明らかに変化した。嵐の際には移動率が通常時の約2倍になり、調査海域から離れる割合は大幅に増えた。しかも離れていく魚は、より深い方向へ移動する傾向があった。つまり魚は、大きな嵐に対して何らかの行動変化を起こしていたのだ。
研究者たちは、行動変化の引き金として「気圧」「海底付近の水温」「波によって生じる海底付近の水の動き」を疑った。その結果、気圧や水温よりも、波によって生じる水の動きとの相関が強いことが分かった。
魚が感じ取っているのは、単純な気圧低下だけではない可能性があるのだ。人間が「台風が来る」と認識するより前から、海には遠く離れた台風が生み出したウネリが届くこともある。魚にとって台風とは、天気図の中心気圧の数字ではない。水そのものの変化なのだ。
「嵐の前に食いだめする」は本当か?捕食環境の変化が生む錯覚
もう一つ、釣り人の間でよく聞く話がある。「魚はこれから海が荒れてエサを食べられなくなることを知っている。だから台風前に荒食いする」。いかにもありそうな話だ。だが、これも慎重に考えたほうがいい。
魚が数日後の台風を予測し、「明日は荒れてエサが食えなくなる。今日のうちに腹いっぱい食っておこう」と考えている――。そう想像したくなるが、むしろ台風接近によって水中環境が変わり、エサとなる生物の動きが変化した結果、魚にとって捕食しやすい状況が生まれていると考えたほうが自然だろう。
風によって水面が波立てば、小魚から釣り人の姿も見えにくくなる。曇れば光量も落ちる。波や流れによって、それまで隠れていた餌生物が動き出すこともある。魚の食欲そのものが猛烈に増していなくても、エサに遭遇する機会や捕食のしやすさが変われば、釣り人から見れば「活性が上がった」ように見える。釣り人が使う「活性」という言葉は、実はかなり便利で曖昧なのである。
川では「台風後」の変化はもっと分かりやすい
川釣りをする人なら、さらに想像しやすいだろう。雨が降れば水位が上がる。流れが速くなる。ニゴリが入る。陸上にいたミミズや昆虫などが水中へ流れ込む。普段は浅すぎて魚が入れなかった場所まで水に浸かる。逆に本流が激流になれば、魚は流れの弱い岸際やワンド、石裏などへ避難する。
つまり台風の前後では、魚の「食欲」だけでなく、魚がいる場所そのものが変わる。ここでも重要なのは、「低気圧だから釣れる」ではない。環境が変わった結果、魚の居場所とエサのありかが変わる。そう考えたほうが、実際の釣りには役立つ。
では結局、「台風前は釣れる」のか?
ここまで調べてきたことを整理すると、答えは少し歯切れが悪い。「台風前は必ず釣れる」とはいえない。だが、「台風と魚の行動には何の関係もない」というのも違う。
魚には圧力変化を感じる能力があり、実際に熱帯低気圧の接近によって行動を変える魚がいることも確認されている。一方で、「低気圧になると浮き袋が膨らむから魚が浮き、活性が上がって荒食いする」というおなじみの説明だけで片付けるのも無理がある。台風が近づけば、気圧、風、波、ウネリ、光量、水温、流れ、ニゴリ、そしてエサとなる生物の動きまで変わる。魚が反応しているのは、そのどれか一つではなく、水中で起きている環境全体の変化なのだろう。
だから私は、「今日は低気圧だから釣れる」と考えるより、「台風の接近によって、この釣り場の何が変わったのか」を見るほうが大切だと思っている。風が吹いたことでエサが寄せられている場所はないか。ニゴリによって魚の警戒心が薄れている場所はないか。増水によって新たなエサ場になった岸際はないか。流れが強くなったことで魚が避難している場所はないか。それを探すことができれば、「台風前は釣れる」という昔からの言葉も、単なる迷信として片付ける必要はなくなる。
ただし、最後に一つだけ。台風が接近しているときに、よく釣れるかもしれないからと海や川へ出掛けるのは論外だ。高波や増水は、魚の活性とは比べものにならないほど重要な問題である。「台風前は釣れるのか」を確かめるために、台風前に釣りへ行く必要はない。魚より先に、人間が危険を察知するべきなのである。
次回|なぜスーパーのサケは「当たり外れ」が大きいのか?
同じ「サケ」なのに、脂の乗りも身の色もまるで違う。
カナダとオホーツクでの釣り経験から、その答えを解説します。
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