魚群探知機を発明したのは日本人だということをご存じだろうか?その人物が実用化した、超音波を使って魚の姿を記録する技術は、フィッシング用2D魚探はもちろん、世界中に浸透することとなった。今回は取材に協力していただいた船舶用電子機器メーカーFURUNOからの提供資料を参考にしつつ、我々アングラーが今日使っている魚探の起源を探ろうと思う。

Basser編集部=文と写真
取材協力=古野電気株式会社
1986年に日本初のバスフィッシング専門誌として創刊された『Basser』の編集部。バスフィッシングのテクニックだけでなく、日本や本場アメリカのトーナメントシーン、ムーブメントを伝え続けてきた。
魚群探知機は日本人の発明だった
魚探の起源を語るうえで絶対に外せない人物がいる。FURUNOを立ち上げた故・古野清孝さんだ。清孝さんが魚探を生み出すまでの物語を追ってみよう。
清孝さんは、大正7年に長崎県・島原の家庭に生まれた。家計を助けるため、当時急速に普及したラジオの修理工として17歳から働きはじめた。のちに漁船の石油ランプを電球に変える艤装を手掛けるようになり、事業が軌道に乗り始めると弟の故・清賢さんも手伝い始めた。
そうした仕事を通して知る漁業の世界は、いまだに経験や勘、神事に頼った非科学的なものだった。戦争で食料難だった時代に、何とか科学技術の力が漁業や飢えた人々の助けにならないものかと清孝さんは考えるようになった。
軍の払い下げ品からのスタート
奇しくも古野兄弟の育った長崎県口之津町(現在は存在しない)は軍関係の基地になっており、ある日偶然軍の払い下げ品である音響測深儀を手に入れることができた。船が安全に航行するための深度測定をする道具だ。
清孝さんはこれで地形だけでなく、魚そのものを映せないものかと思い立ち魚群探知機の開発はスタートした。増幅器を改善して感度をあげたり、振動子の保護や船への取り付け方を工夫したりして改良を加えた。当然、文献も識者もおらず、すべて手探りだった。
改造したその装置を実際に海で使うのも大変な労力だった。簡単に漁船には乗せてもらえなかったのだ。漁師は1日にそう何度も網を投げ込めるわけではない。生活のかかった貴重な1回を、得体のしれない機械の言う通りにはできないというわけだ。
ようやく許可が下りると、兄の清孝さんは身体が弱かったため、弟の清賢さんが船での実験を担当した。そうした苦労の甲斐あって、魚探はかろうじて魚群らしきものを映しだせるようになった。ある時は魚探が巨大な魚影を映し、「ここに魚がいるはずない」という船頭に頼みこんで網を投げさせたものの、引き揚げるとクラゲの大群だった。その時清賢さんは船員に海に放り込まれたという。清賢さんらを同船させても魚が獲れないことや、船頭たちが自分の職を奪われるという懸念も相まって、地域で相手にしてもらえる船はどんどん減っていった。
どん底の漁船を救った魚探の効果
開発資金も底をつきかけていたころ、清孝さんは1艘の船に注目した。当時毎月の水揚げ競争で、漁獲高がいつ見ても最下位の漁船だった。最後の望みをかけたこの船で、とうとう古野兄弟は大量のイワシを獲ることに成功する。それ以後も魚探の効果は凄まじく、漁協での漁獲高3か月連続1位という快挙までなしとげた。
その初期型の魚探の原理は現代の2D魚探やライブソナーと同じもので、超音波の反射を電気信号に変換した。ただ当時はまだディスプレイなどはなく、地形や魚群は記録紙に記された。こうしたことから実用性を認められた漁探は急速に普及。兄弟は本格的に船舶電子機器メーカーとして歩み始めることになった。
FURUNOが描くこれからの魚探技術
現在FURUNOは創業77年。2048年には創業100周年を迎えるという。そんなFURUNOが2050年の海を取り巻く状況を見据えて新たに打ち出したのが未来社会「Ocean 5.0」構想だ。「海の恩恵をすべての生きるものが受け、さらに恩返しする未来を創造する」ことを目指して活動している。
FURUNOはなんと3300名以上の従業員数を持ち、世界の漁業向け電子機器のシェア49%を占める。大間のマグロ漁師の360度ソナーや、タンカーや客船などの商船用の電子機器、さらには超音波技術を応用した医療機器まで開発するというスケールの大きさだ。当然のことながら、最新の魚群探知機にも初代魚群探知機の技術が脈々と受け継がれている。
魚の体長を1cm単位で測定する技術
FURUNOの魚探で特筆すべきは、超音波で捉えた魚の体長測定ができる技術だ。魚の体長をなんと1cm単位で測定することが可能。それも単体で映る魚だけではない。魚群にどれくらいの大きさの魚がどの割合いるかの分布を、グラフで可視化することもできる。他にも「TrueEcho CHIRP™技術」がある。これは魚群の分離を高める技術で、ボトムに貼り付いた魚や魚群(ベイトボール)の中にいるフィッシュイーターなど、他のシルエットに紛れた魚をそのシルエットから「分離して」映すことができる。
バスアングラーにとっては大きいサイズだけ狙い撃ちできる垂涎の技術に思えるが、この機能の最良の部分はそういったスコーピング的な部分ではない。むしろ持続的な漁業を続けるために「必要ない魚を獲りすぎない」ことにある。魚の体長がわかれば、たとえばリリースサイズを避けることができる。特に網を使った漁など、狙っていないサイズや魚種がどうしても混じりがちだ。その割合を下げ、海の資源が枯渇しないよう管理をするのには大変有用な技術だ。また魚種判別の技術も、AIによってどんどん精度が高められているという。
ARナビゲーションなど、広がり続ける海洋電子機器の可能性
他にも、海上物流を担う商船向けの製品では、航行に必要な情報をディスプレイ上に表示する「ARナビゲーション」がある。海上のルートや危険個所、進入禁止エリア、潮汐や潮流までディスプレイ上で可視化できるこの技術。もしゴーグル化して装着できるようになれば、いつかバスボートを運転するときが来たらずいぶん心強いなと感じた。魚探の世界は想像以上に奥深く、我々アングラーが触れるものはそのほんの一角にすぎないのかもしれない。
魚探が生まれるまでの世界史年表(1591年〜1948年)
1591年
大航海時代の探検家マゼランが深海における世界最初の測深を行なったといわれている。当時の測深用のロープは183m〜366mほどあったようだが、着底しなかった。どうやら彼はその地点を「世界最深の位置」と考えたようだ。
1912年
タイタニック号事件
当時世界最大だった豪華客船の沈没は欧米の研究者や技術者に衝撃を与えた。

1913年
ドイツの研究者アレクサンダー・ベームもタイタニック号事件に動揺した一人だった。当時所属していた物理技術研究所で音波を使った装置のアイデアを思いつき、音響測深儀を開発・特許取得。奇しくも彼は釣り好きで、晩年はとくに情熱を注ぎオリジナルのフライやスプーンまで開発した。
1920年〜
音響測深儀の実用化が盛んに。ドイツ、アメリカ、フランス、イギリスなどが主に開発を進めた。ドイツのベーム式は音源に爆薬が用いられ、水面下2mで爆発。船底に取り付けたマイクで海底からの反射音を受信して時間間隔を計測し、そこから水深を計算した。
1939年〜
第二次世界大戦勃発
皮肉にも戦争は海洋音響技術を進歩させた。大戦後はサイドスキャンソナーも急速に普及した。

1948年
FURUNO創業者の古野清孝が軍の払い下げ品の音響測深儀を改良。地形だけでなく魚そのものを映し出す「魚群探知機」を世界で初めて実用化した。
※このページは『Basser 2025年12月号』に掲載した記事を再編集したものです。



.jpg)