1946年創刊の小誌『つり人』は今年80周年を迎えた。その歴史のなかで多くの釣りやターゲットを取り上げてきた。昭和の時代、アユや渓流と並んで熱気があったのがオイカワ・ウグイ釣りだった。

まとめ◎月刊つり人編集部
1946年創刊の雑誌「月刊つり人」を始め、数々の釣りに関するコンテンツを作成してきたつり人社の編集部。
アユに次ぐ人気だったヤマベ(オイカワ)・ハヤ(ウグイ)釣り
川釣りの人気ターゲットとしてまず思い浮かぶのはアユ、ヤマメ、イワナといった魚たちだろう。競技も盛んな友釣りに加えルアーでねらう選択肢も一般化しつつあるアユと、心まで洗われるような渓流でルアー・エサ・毛バリ・さまざまな釣り方で美しい魚体に出会える渓流は、本誌で何度も特集が組まれてきた。
ジャンルが細分化され専用タックルが毎年リリースされるこれらのターゲットに隠れるようにして、かつては競技会も催されるほどメジャーだったのにもかかわらずメディアに登場する機会が失われてしまった魚たちもいる。ウグイ(ハヤ)やオイカワ(ヤマベ)だ。
そこで今回は、バックナンバーから昭和の時代のヤマベ・ハヤ釣りを振り返りながら、彼らの魅力を再確認してみたい。
創刊年から毎号掲載されたポピュラーな釣りだった
まず、創刊からまもない1940年代後半から1950年代にかけて、ヤマベ・ハヤが釣り人の間でどんな位置づけにあったのかを調べてみた。
創刊号から読者のハガキ投稿を募集していた「各地の釣り情報」。創刊号で「淡水の部」へ寄せられた21件の投稿のうち、ヤマベ・ハヤ類の情報は4件。7月号という季節柄もあってアユ釣りが11件あり、少ないと思われるかもしれないが、それに次ぐ数なのだ。
さらに1954年の2月号では、都内で釣具店を営む芳賀故城氏が「つり人の実態」と題して同店の来客400人を対象にアンケートを行なった記事がある。それによると海釣り・川釣り・池釣りのどれが好きかという問いには48%の人が川と答え、その対象魚はアユ、ハヤ、ヤマベの順に多かったということだ。あくまで都内の一店舗のデータだが、アユの次に人気だったと考えてよいだろう。
ウグイは食味も高く評価されていた
その人気を反映するように、1946年刊行の号にはいずれもヤマベ・ハヤ釣りの記事が掲載されている。創刊号(1946年7月号)には武田南畝氏による「ハヤ釣の考察」という記事で、毛バリ(蚊バリ)の流し釣りを解説。蚊バリは3本が基本で「3本でも大物が2尾釣れる場合がずいぶんある」としている。
8月号では北海道・洞爺湖のウグイ釣りを紹介。「半日くらいで50尾から200尾あまり釣れるのが普通」とある。9月号では巻頭写真で「ハヤ・ヤマベの近郊釣り場として著名である」として埼玉県・新河岸川の釣り風景を掲載。
10・11月合併号では岸浪百艸居のイラストに創刊者の佐藤垢石が随筆を寄せる恒例のエッセイ記事に、ウグイの串焼きが登場。幼少期に父に連れられ初めて釣った魚が赤い腹が鮮やかなこの魚だったこと、30数年後同じように3歳の息子を連れて釣りに行き貧果だったものの得難い経験になったこと、群馬県・鏑川のハヤが最も気品の高い食味をもつことなど思い入れたっぷりに綴っている。
12月号では麻生良方氏が鬼怒川でリールを使った投げ込み釣りでねらうウグイ釣りを解説。栃木では「アイソ」と呼ばれているウグイは、尺超えの大物もいて味もイワナやヤマメに次ぐ美味と伝えている。
当時のヤマベ釣りの仕掛けと釣り方
では具体的な仕掛けや釣り方はどうだったのか。まずはヤマベから。一般的だったのは毛バリ(蚊バリ)釣りとウキ釣りだ。1952年5月号には今村逸三氏による6パターンの蚊バリ仕掛けを詳しく解説した記事がある。
釣り鐘型の瀬ウキをつけたものはその引き波の効果でアピールが強く、活性の高い状況に向く。ウキが小さいものは抵抗が少ないから食いが浅い状況に対応可能。枝スを介してウキを取り付ける今村氏の応用仕掛けは、サオさばきで引き波の強弱とともに蚊バリのレンジも微調整可能、といった解説が載せられている。
エサ釣りの仕掛けと練りエサの活用
エサ釣りは、瀬を釣るなら玉ウキ仕掛けにサシや川虫などを使ったフカセ釣り、緩流域ではトウガラシウキの仕掛けで練りエサが使われるのがメジャーだった。
1956年5・6月号でこの仕掛けを解説したのが宇留間鳴竿氏である。宇留間氏は淡水の小もの釣りで競技の世界にも精通し、タナゴ釣りでは研ぎバリを紹介して後年に大きな影響を与えた人物である。
競技も盛んだったヤマベ釣り
ヤマベもタナゴと並ぶゲームフィッシュで、冬の対象魚であるタナゴに対し、ヤマベはフナの乗っ込みが終わるタイミングから競技会が盛り上がった。たとえば1956年6月号の「釣界便り」では各地の釣りクラブによるヤマベ釣り大会の結果が掲載されている。5月9日に秋川の拝島エリアで開催された港釣魚連合会主催の競技会の個人の部では、龍雲釣クラブ所属の大野哲郎氏が175尾という成績で優勝している。
宇留間氏の仕掛けもこういった競技会の流れを汲んだもので、手返しがモノを言うヤマベ競技においてトーナメンターの信頼が厚かったのは練りエサの釣り。ヘラに盛った練りエサをハリでかくように付けることで手返しを上げ、打ち返しを頻繁にすることで寄せエサの効果もあった。エサはフカシ甘藷(サツマイモ)にウドン粉を混ぜたものだ。
サオは竹の和ザオが使われていた
ちなみに当時のサオはどんなものだったかというと、まだまだ竹の和ザオが一般的な時代で、宇留間氏が通常使用していたのは7~9尺(2.1~2.7m)。もっと長いものを使う人も多かったようで、1953年2月号には江戸和竿の東作が「竿の買い方と選び方」という広告記事を掲載。「この釣りの通人は丈三五寸という寸法のヤマベ専門の竿を愛用している」とある。丈三五寸は約4mで、記事中には3間(約5.5m)のラインナップも存在する。

親しまれた「寒バヤ」の釣り
ハヤは暖かい季節にもねらわれていたが、当時の『つり人』でより熱心に紹介されていたのは「寒バヤ」の釣り。冬場に越冬場となる深い淵をねらう。前述の佐藤垢石のエッセイや鬼怒川のリール釣りの記載でもわかるように、30cm級のサイズもねらえる魚であることから食料確保の釣りという側面が大きかったようだ。
渡良瀬川の寒バヤ釣りと田舟を使った本流の釣り
1953年2月号では渡良瀬川の橋脚下に田舟を係留しての寒バヤ釣り風景が掲載された。当時の本流の川釣りは渡船でポイントまで渡してもらったり、貸し船を利用して腰を据えて釣ったりするのが当たり前に行なわれていた。
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狩野川のミャク釣り仕掛けとその工夫
寒バヤの仕掛けで興味深いのは「東京すずらん釣遊会」所属の石井利之氏が「寒バヤをねらうならやはり伊豆狩野川」と題した記事で紹介したミャク釣り仕掛けだ(1970年2月号)。オモリの上3cmから枝スを出すドウヅキ仕掛けとなっている。
活性の低い冬の魚はエサ(川虫)を止めてしまうと警戒して食いつかないため、エサが自然な形で流れるように、流速に応じてオモリを小まめに付け替えるのがコツと言い、ドウヅキ仕掛けであればオモリの交換も行ないやすいというメリットがあるのだ。
身近な川の魚・オイカワとウグイの現在
このように全国どこでも身近な魚であり、多くの釣り方で親しまれていたのがオイカワやウグイだった。しかし、今はすっかり下火になって久しい。それはトラウトなどルアーフィッシングの盛り上がりもあっただろうが、気軽に釣れる環境が少なくなってしまった影響も大きいだろう。
本来どの川にも生息している普通種であるはずのこれらの魚も個体数の減少が著しい。競技会が盛んだったころのようにオイカワがひとりで200尾近く釣れる河川環境を取り戻したいものだ。
※このページは『つり人 2026年7月号』に掲載した記事を再編集したものです。

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