スレンダーポインターにはプロにも伝えていない秘密がひとつだけあります。実はスレンダーポインターのリップはFAT CB B.D.S.(クランク)と同じものを角度もバランスも同じようにして、サイズだけ変えてそのまま付けたのです。
スレンダーポインターには誰にも言っていない秘密がある
瀬川 稔(ラッキークラフトUSA社長)=語り
この記事は『Basser』2023年3月号に掲載したものを再編集しています。Basserのバックナンバーは定期購読をお申し込みいただくとデジタル版バックナンバーが4年分以上読み放題! 詳しくはこちらをどうぞ!目指すは「世界一のクランクベイト」。この連載では、ラッキークラフトUSAのルアーデザイナーと、大森貴洋、リック・クラン、スキート・リースら歴代プロスタッフが勝てるルアーを作るために繰り広げた知られざる切磋琢磨の歴史を紹介する。
以下、瀬川さん談。
◆前回:勝てるジャークベイトの方程式
7ftグラスでジャークする背景
前回までジャークベイトトークにお付き合いしてもらいましたが、クランクベイトの話に戻る架け橋としてお伝えしておきたいエピソードがあります。
実はスレンダーポインターにはプロにも伝えていない秘密がひとつだけあります。
その秘密はリップにあります。実はスレンダーポインターのリップはFAT CB B.D.S.(クランク)と同じものを角度もバランスも同じようにして、サイズだけ変えてそのまま付けたのです。勝つために作ったスレンダーポインターはボディーバランスやフック位置などは比較的すんなり決めることができましたが、リップに関しては最後まで決めかねていました。この悩みはプロたちの釣りを観察することで晴れました。
B.D.S.2とスレンダーポインター112MRはジャンルを超えて深く繋がっている
当時のトッププロたちはスポンサー関係なく、多くが大森貴洋さんと同じダイワ製TD-Sの7ftグラスロッドでジャーキングしていました。「神ってる」ロッドとしてツアーシーンで愛されていたクランキンロッドです。
これはクランクベイトという軸があり、その変化球としてジャークベイトを使っていたことの表われだと思います。あくまで基礎基本はクランキングですが、本当に困ったときにジャーキングをしていたということです。
その事実から考えたのは、「クランクっぽいエッセンスを残したジャークベイト」はどうだろう? ということ。クランクを「軸」にジャークベイトという「変化」を操るプロにとって扱いやすいものになるはずです。
結果的にスレンダーポインターはいわば「B.D.S.ジャーク」的な仕上がりとなりました。クランクチックなリップ形状は水噛みがよくたしかな引き感があり、潜行深度を稼ぐことができました。勝つためのジャークベイトを作るうえでの最大のテーマでもあった「ひとつ下のタナをねらう」にとっても非常によい形状だったのです。
B.D.S.2とB.D.S.3は14gなのですが、スレンダーポインター112は15gに仕上がりました。そしてワンランク階級を上げて、B.D.S.4とスレンダーポインター127はともに20gに仕上がりました。そしてひとつランクを下げたスレンダーポインター97は、のちに開発されたB.D.S.マジック2.2(以前はB.D.S.マーティー)と同じ10gになりました。
勝つために必要な「サイズ・強度・リズム」をそれぞれの階級で実現するべく設計していくと、不思議なことに重量バランスが同じように仕上がり、おのずとクランクベイトとジャークベイトが結びついたのです。
アメリカンドリームのはじまり
ちょうどこのころから少しずつラッキークラフトUSAのルアーにまつわる結果と評判が我々の耳に届きはじめました。
以前も触れたように、2004年のバスマスターツアー・ガンターズビル戦でジョージ・コクランが世界のKATOが作ったポインター100で勝ち、西海岸では本社スタッフである坂下常務や川原主任が味付けをしたステイシー90バージョン2が1998~2000年に3年連続で西海岸のクリアウォーターでウイニングルアーになりました。
ステイシーはオリジナルのほうがタイトロールなのでプリスポーン期のポンピングリトリーブには合っているのですが、バージョン2のほうがオリジナルより少し振り幅が大きく、プリスポーン前のコールドウォーターでリアクションバイトを誘発するのに効果的だったのです。
そのほかローカルトーナメントでもポインター78やサミー100&115が優勝に絡んだという話が頻繁に舞い込んでくるようになりました。また、当時バスフィッシングトーナメントが流行していたヨーロッパでも、フランスオフィスのスタッフが同じように結果を出しました。
しかし……。どれもこれも加藤さんのルアーでの信頼と実績です。
そろそろ私たちの研究結果も実を結んで欲しいものだと願っていたころ、ポロッと予期せぬ吉報が舞い込んできました。
時は2004年。
FLWツアー傘下のマイナーリーグ・エバースタートでのことでした。アメリカ南部ルイジアナの難所レッドリバーでスコット・ロックがB.D.S.4で優勝したのです。最終的には有名プロとして名を馳せたアングラーですが当時はまだ無名でした。
今振り返るとこのころに転機があったように思います。さまざまな評判とヒトの繋がりから、とてつもなく大きなアメリカンドリームが動き始めたのでした。何の話か読者の皆様は察しがついているかもしれません。次回をお楽しみに。B
◆第1回:すべては衝撃のひと言から始まった。「このルアー、泳いでないね」
◆第2回:勝つためのFAT CB B.D.S.2、アングラーに寄り添うB.D.S.3
◆第3回:プロに使われるルアーの絶対条件
◆第4回:「新しい振動」を探す旅のはじまり
◆第5回:ディープクランクを巡る熾烈 大森貴洋「やっぱりオレはディープはやらない」までの道のり
◆第6回:駆け出しのバスプロに寄り添うスモールクランク乱造時代
◆第7回:1尾への最短距離。“Heart of Young Angler”としてのフラットサイド
◆第8回:スキート・リースのAOYを決めた1尾
◆第9回:ポインター政権の始まりと終わり
◆第10回:ビッグジャークベイトの可能性
◆第11回:邪念と誠意のはざま/ライブポインター
◆第12回:勝てるジャークベイトの方程式
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