今回からはある名作の誕生秘話を紹介します。1999年から2003年ごろの話です。我々の変わらぬ目標は全米制覇。「ラッキーのルアーさえあれば全米どこでも勝てる」ことを目指していました。そのため、私たちはアメリカ中の湖にアンテナを張るべく、各地のプロスタッフたちと契約しコミュニケーションをとっていました。
「B.D.S.4、よくできてるな」
瀬川 稔(ラッキークラフトUSA社長)=語り
この記事は『Basser』2023年4月号に掲載したものを再編集しています。Basserのバックナンバーは定期購読をお申し込みいただくとデジタル版バックナンバーが4年分以上読み放題! 詳しくはこちらをどうぞ!目指すは「世界一のクランクベイト」。この連載では、ラッキークラフトUSAのルアーデザイナーと、大森貴洋、リック・クラン、スキート・リースら歴代プロスタッフが勝てるルアーを作るために繰り広げた知られざる切磋琢磨の歴史を紹介する。
以下、瀬川さん談。
◆前回:スレンダーポインターには誰にも言っていない秘密がある
全米で勝てるフォーメーション
今回からはある名作の誕生秘話を紹介します。なんのルアーから皆さん察しがついていることだと思いますが、まずは背景から読んでもらえると幸いです。
1999年から2003年ごろの話です。我々の変わらぬ目標は全米制覇。「ラッキーのルアーさえあれば全米どこでも勝てる」ことを目指していました。そのため、私たちはアメリカ中の湖にアンテナを張るべく、各地のプロスタッフたちと契約しコミュニケーションをとっていました。勝てるルアーを作るためのエビデンス収集が目的です。
たとえばクリアレイクのことはスキート・リースから学び、ノースキャロライナ州の話はマーティー・ストーンに聞き、テキサスの湖についてはケリー・ジョーダンと大森貴洋さんに教えてもらうといった具合です。
2004年のBassmaster Tour最終戦は、ケリー・ジョーダンの優勝とジェラルド・スインドルのAOYというチーム・ラッキークラフトUSAのひとり勝ちに終わった
また、当時からアラバマはバスプロの名門として知られていました。ジェラルド・スゥインドルやティミー・ホートン、ランディーハウエルはアラバマ三人衆と言われていましたし、現在でいうとダスティン・コネルやジョーダン・リー、ジェイコブ・ウィーラーといったBPTの最強メンバーもアラバマが輩出しています。我々はジェラルド・スゥインドルと契約を交わしていました。当時のジェラルドは若くて鼻息も荒く、そんな若者が学んできたことを知る機会があることは私たちにとってとても刺激的でした。
そのほか、西海岸のレイクではポインターを1分ホールド(一点でサスペンド)させることもあるという話や、ヘビーバイブレーションをボトムまで落として使うテクニックなど、全米のローカルな秘話を聞くことができました。
今ではMLFのテレビ司会をしているマーティー・ストーンも、かつてはノースキャロライナを代表する偉大なアングラーだった
当時ゲーリーヤマモト社と契約をされたローランド・マーティンともやりとりがあった。我々が苦手とするフロリダ開拓のためコラボルアーを作るなど盛り上がったが、残念ながら長続きはしなかった
契約プロが乗ったチーム・ラッキークラフトUSAのラッピングカー
また、「リザーバーのバスは減水するとコーブのなかでサスペンドしてやり過ごすことが多い」など、トリッキーな状況に対するバスの動きにまつわるエビデンスもどんどん集めることができました。ちなみにこの話はケンタッキーのマイク・オートンからもらいました。
2003年にかけて多くのプロと契約を交わし、我々はアメリカのほとんどの「水」について学ぶことができました(唯一フロリダは攻めきれていませんが……)。同時にチーム・ラッキークラフトと呼べるまとまりが出てきたのもこのころです。余談ですが私は「チーム・ダイワ」に憧れていたので、ラッキーのチームを作りたいという思いは強かったです。リック・クランとデニー・ブラウワー、ジョージ・コクランが登場する昔のダイワのカタログにはシビれましたからね……。
ゲーリー・クラインからの声
こういったバックボーンがあるなか、2004年にレッドリバー(ルイジアナ州)でFLW傘下のエバースタートが開催され、スコット・ルークがB.D.S.4で優勝します。当時まだ無名だったスコット・ルークですが、「B.D.S.ってなんだ?」というアメリカ人の興味をひくのには充分な出来事でした。
そして2004年6月にはさらにゾクゾクすることになります。チーム・ラッキークラフトのジェラルド・スゥインドルがB.A.S.S.ツアーでAOYを獲得(のちにジェラルドは2度目のAOYも手にします)。ここで「チーム・ラッキークラフトってなんだ?」と注目を集めたのです。
このふたつの出来事が生んだ流れが思わぬ展開を呼びます。
翌年の2005年、試合会場を歩いていると、デストロイヤーの金文字が入った赤いスキーターの選手から挨拶をもらいました。当時メガバスのプロスタッフだったゲーリー・クラインです。大森貴洋さんがフリップの達人として尊敬を寄せる偉大なアングラーであり、私は声をかけてもらっただけで相当驚きましたし嬉しかったことを覚えています。今にして振り返ると、メガバスさんへの信頼がベースにあり、親日的な気持ちもあったのかもしれません。
そしてゲーリーの放った言葉に私は衝撃を受けたのです。
「B.D.S.4、よくできてるな」
まさか大森さんがリスペクトする選手にこんなありがたい言葉をもらえるなんて……。そしてゲーリーはリック・クランと交流の深いアングラーでもありました。ここから話は大きく動きます。次回をお楽しみに。B
2005年以降、大森貴洋でさえもフリッピングの達人と崇めるゲーリー・クラインと交流が生まれた
◆第1回:すべては衝撃のひと言から始まった。「このルアー、泳いでないね」
◆第2回:勝つためのFAT CB B.D.S.2、アングラーに寄り添うB.D.S.3
◆第3回:プロに使われるルアーの絶対条件
◆第4回:「新しい振動」を探す旅のはじまり
◆第5回:ディープクランクを巡る熾烈 大森貴洋「やっぱりオレはディープはやらない」までの道のり
◆第6回:駆け出しのバスプロに寄り添うスモールクランク乱造時代
◆第7回:1尾への最短距離。“Heart of Young Angler”としてのフラットサイド
◆第8回:スキート・リースのAOYを決めた1尾
◆第9回:ポインター政権の始まりと終わり
◆第10回:ビッグジャークベイトの可能性
◆第11回:邪念と誠意のはざま/ライブポインター
◆第12回:勝てるジャークベイトの方程式
◆第13回:スレンダーポインターには誰にも言っていない秘密がある
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