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つり人編集部2026年10月30日

なぜ漁師は山に木を植えるのか? 森の鉄が海を育て、サケが森を育てる

「猟師山を見ず」。一つのことに集中しすぎて、周りが見えなくなるという意味である。

今の時代は「漁師山を見る」といえる。海の漁師たちは海の魚を増やすためには、足もとの海のことだけでなく、海、川、山と続く生態系を考えないとならないということを知っているからだ。

著者:つり人オンライン編集部

写真と文◎山根和明(株式会社つり人社代表)

つり人社代表取締役社長、日本釣振興会理事。大学時代から「月刊つり人」編集部に携わり、2006年編集長、2015年より現職。30年以上にわたり釣りメディアの企画・編集に携わる。著書に『カッパのいない川で子どもは育つか』(2026年)。個人note「それ、ヤマネに聞いてみよう。」では、釣りや自然、編集、仕事など、読者から寄せられた質問に答えている。

目次

    森の鉄が、海の植物プランクトンを育てる

    宮城県気仙沼のカキ漁師たちは、40年ほど前から、山に木を植え続けている。海の魚を増やしたいなら、稚魚を放流すればいい。海藻が減ったのなら、海藻を植えればいい。そう考えるのが普通だろう。ところが、漁師たちが向かったのは、海ではなかった。湾に注ぐ川をさかのぼった、山だった。

    なぜ、海を守るために山に木を植えるのか。その答えは、海の食物連鎖の出発点にある。海には、魚のエサとなる小さな生き物が無数にいる。その土台を支えているのが植物プランクトンだ。植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、それを小魚が食べ、小魚を大きな魚が食べる。

    では、その植物プランクトンは、何によって育つのか。日光や窒素、リンなどの栄養分に加え、重要な役割を果たしているのが鉄である。鉄は海水中にも存在するが、植物プランクトンが利用できる形の鉄は不足することがある。

    ここで森の出番となる。山に降った雨は、落ち葉が積もってできた土にしみ込み、さまざまな成分を溶かし込んで川へ流れ出す。落ち葉などが分解されてできる腐植物質と結びついた鉄は、植物プランクトンが利用できる形で海へ運ばれる。つまり、海の魚を育てる栄養の一部は、山の森からやってくる。

    もちろん、木を植えれば植えただけ魚が増えるほど、海は単純ではない。水温も、潮の流れも、日光も関係する。しかし、海の豊かさを考えるうえで、森と川を切り離すことはできない。

    落ち葉が積もった広葉樹の森を流れる沢。森の土にしみ込んだ雨が、さまざまな成分を溶かし込んで川へ出ていく
    落ち葉が積もった森を流れる沢。森の土にしみ込んだ雨が、さまざまな成分を溶かし込んで川へ出ていく

    海辺の森を守る「魚付保安林」は明治からある

    海辺の森が魚を寄せることは、昔から知られていた。1897年(明治30年)の森林法でも「魚付保安林」が制度化されている。海岸の森が魚の生息環境を守るという考え方だ。しかし、海から遠く離れた山の森までが、川を通じて海を育てている。そこまで考える漁師は、かつて多くなかった。

    「森は海の恋人」。気仙沼のカキ漁師が山に木を植えた理由

    このことに気づき、実際に行動を起こしたのが、気仙沼のカキ漁師、畠山重篤さんだった。惜しくも昨年、2025年4月に逝去された。「森は海の恋人」という言葉で知られる人物である。

    畠山さんが家業のカキ養殖を継いだのは1961年。1970年代になると、気仙沼湾の水質が悪化し、カキの生育にも影響が出るようになった。川や山の開発も進んでいた。漁師を続けるべきか悩んでいた畠山さんは、視察で訪れたフランスで、川と海の関係に目を開かれる。

    河口には広大な干潟があり、カニやエビなどの小動物が数多く生息していた。川にはウナギがのぼっていた。かつて気仙沼にも豊富にいたウナギは、1970年代には姿を消していた。そして、川の流域には豊かな広葉樹林が広がっていた。一方、日本では河川や沿岸のコンクリート化が進み、山の広葉樹林は伐採され、スギやヒノキの人工林に置き換えられていた。

    畠山さんは、海の問題を海の中だけで解決しようとしていたことに気づいた。海を守るには、川を守らなければならない。そして、川を守るには、その源である森を守らなければならない。

    1989年、大川の水源域で広葉樹の植林を始めた

    1989年、畠山さんたち漁師は、気仙沼湾に注ぐ大川の水源域の山で、広葉樹の植林を始めた。海の魚を増やすために、漁師が山に登る。当時としては、常識を覆す発想だった。「森は海の恋人」。

    植樹祭は毎年続けられ、流域の小学生たちも参加した。小さな手で植えた苗木は、やがて森をつくっていく。植林が始まってから、気仙沼湾では海藻の成長が良くなり、カキの生育も安定したという。畠山さんは、海の問題を、海の外から解こうとした。その問いは、いまの水産行政にも残っている。

    山あいを流れる川。山の森と川は、その先の海までつながっている
    森に囲まれた山あいの川。山の森と川は、その先の海までつながっている

    放流しても、魚が育つ海がなければ意味がない

    私は、農林水産省水産庁の「栽培漁業基本方針検討会」の委員を務めている。稚魚を育てて海に放流する栽培漁業について、国の基本方針を検討する会議だ。前回の第8次に続き、第9次の委員にも任命され、今年10月に開かれた第1回の検討会に、遊漁者の代表として出席した。委員には、水産業に従事している方や栽培漁業の専門家が多い。

    いま、全国で問題になっているのが「磯焼け」である。磯焼けとは、海藻が減少し、海底が岩肌ばかりになってしまう現象である。海藻の森は、小魚や稚魚の隠れ家であり、エサ場でもある。その森が消えれば、魚が育つ場所も失われる。

    原因は一つではない。海水温の上昇もあれば、魚やウニなどによる食害もある。栄養塩の不足が関わる海域もある。しかし、私が気になるのは、山から川を通じて海へ運ばれる栄養分の問題だ。

    稚魚を何万尾、何十万尾と放流しても、その魚が育つ環境が失われていたらどうなるのか。畠山さんが40年近く前に問いかけたことを、私たちはいまだに考え続けている。

    サケが森を育てていた

    森が海を育てる。その逆もある。海の魚が、森を育てている。産卵のために川をのぼるサケを、クマが捕らえて食べることは皆さんご存じだろう。

    クマはサケを川岸や森の奥へ運び、脂の多い部分などを食べる。残された頭や骨、身は、昆虫や微生物によって分解され、土に還る。サケは海で育った魚だ。その体には、海で取り込んだ栄養分が蓄えられている。つまり、サケを食べたクマが、海の栄養を森に運んでいるのだ。

    カナダのキングサーモン。サケは海で蓄えた栄養を体に詰めて、生まれた川へ帰ってくる
    カナダのキングサーモン。サケは海で蓄えた栄養を体に詰めて、生まれた川へ帰ってくる

    年輪の窒素15で確かめた、サケと森のつながり

    そんなことが、本当に木の成長に影響するのか。カナダのビクトリア大学のトム・ライムヘン教授らは、それを科学的に調べた。

    鍵となったのは、窒素の同位体である窒素15だ。海に由来する窒素は、陸上のものと同位体の比率が異なる傾向がある。木の年輪などを分析することで、海から運ばれた栄養が森に取り込まれていることを調べられる。

    カナダのブリティッシュ・コロンビア州で行われた研究では、サケの遡上数が多い川ほど、岸辺の木の年輪に含まれる窒素15が多いことが示された。さらに、木の年輪の幅も、サケの遡上量に比例する。サケが運んだ海の栄養は、森の成長にも寄与している。サケの死骸にアクセスしやすい木では、木に含まれる窒素の最大75%が、サケに由来すると考えられている。

    森が川を通じて海を育て、海で育ったサケが川をのぼり、今度は森を育てる。この話を私に教えてくれたのが、天野礼子さんだった。

    川を守ろうとした女性が、森にたどり着いた

    天野礼子さんは、長良川河口堰の反対運動で知られる人物だ。芥川賞作家の開高健は、天野さんを「のんきなあまご」と呼んでいた。2026年8月27日、NHK BSスペシャル「叫ぶ声なく~開高健が見たベトナム戦争~」が放送された。案内役の角田光代さんとともに開高健の足跡をたどるこの番組に、天野さんが登場し、在りし日の師を語るシーンがあった。開高健が亡くなって35年以上が経つ今も、天野さんの中にある師の存在の大きさが伝わってきた。

    天野さんが月刊『つり人』で「ニッポンの川はすくえるか」という連載を始めたとき、担当編集者を務めたのが私だった。

    初めて会ったのは1999年。長良川の取材だった。それから1年以上、各地の川をいっしょに歩いた。その連載は「ニッポンの川はすくえるか」という名で書籍化された。その流れで、ライムヘン教授によるサケの研究を取材したのだ。

    「サケが、森をつくっていた」天野さんは、興奮した様子で話してくれた。当時の私は、川と魚をめぐる面白い話の一つとして聞いていた。しかし、この研究が天野さん自身を、川から森へ向かわせるきっかけの一つになっていたことを知ったのは、ずっと後になってからだった。

    反対するだけでは、川は守れない

    長良川河口堰の反対運動で、天野さんは長年、声を上げ続けてきた。ところが、反対運動には限界がある。天野さん自身、当時を振り返って、「これはダメです!」と否定することばかりだったと話している。

    その天野さんの考え方を変えた一人が、解剖学者の養老孟司さんだった。「養老先生は『それもいいんですけど』というやり方なんですよ。『このほうがいいじゃないですか』という提案の形で話す」

    反対するだけでは、物事は前に進まない。川を守ろうとすれば、川に流れ込む水のことを考えなければならない。その水がどこから来るのかをたどれば、山に行き着く。川だけを見ていても、川は守れない。

    海の漁師も、川を守る人も、森に行き着いた

    気仙沼のカキ漁師、畠山重篤さんは、海を守ろうとして山に登った。長良川の河口堰に反対し、川を守ろうとしてきた天野礼子さんも、やがて森に目を向けるようになった。

    その天野さんと養老孟司さんの思いが詰まった本がこの秋、刊行された。『最後に自然の話をしよう 森・川を忘れた日本人へ』である。僭越ながら、私も筆を執らせていただいた。なぜ、養老孟司さんは虫取りに夢中になるのか。かつて、日本の川のジャンヌ・ダルクと呼ばれた天野礼子さんは、なぜ、川から森に向かったのか。その謎が本書により紐解かれる。

    次回|なぜ釣りは「鮒に始まり鮒に終わる」と言われるのか?

    「釣りは鮒に始まり鮒に終わる」。釣り人ならだれもが聞いたことのある言葉ですが、なぜ最初も最後もフナなのでしょうか。この言葉に込められた意味を考えます。

    毎週金曜更新| 「釣りの疑問に全部答える」

    筆者の個人note 「それ、ヤマネに聞いてみよう。」では、読者のみなさんの質問に答えています。
    釣り・魚・自然のことも、それ以外のことも。質問はこちらから >

    最後に自然の話をしよう 森・川を忘れた日本人へ

    ✍️ 著者:養老孟司・天野礼子 📅 発売年:2026年

    なぜ、人は自然の中で遊ぶ必要があるのか。肺がんの治療を経てなお虫を追い続ける解剖学者・養老孟司は、いまの子どもたちに伝えたいことを問われ、ただ一言、「遊べ」と答えた。一方、かつて長良川河口堰建設への熾烈な反対運動に取り組み、日本の河川行政を動かしてきた天野礼子。「これはダメです」と声を上げ続けた彼女は、養老孟司から「このほうがいいじゃないですか」と提案する姿勢を学び、川から森へと軸足を移した。モンベル会長・辰野勇氏の特別寄稿、山根和明(つり人社代表)の解説も収録。

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