「リック・クランのシグネチャークランクを作らないか? バスプロショップス専売のルアーを作りたいんだ」私がリック・クランとクランクを作る!? 天地がひっくり返すほどの出来事でした。
人生最高の宝クジを当てたその日から、私の苦悩の日々がはじまった
瀬川 稔(ラッキークラフトUSA社長)=語り
この記事は『Basser』2023年5月号に掲載したものを再編集しています。Basserのバックナンバーは定期購読をお申し込みいただくとデジタル版バックナンバーが4年分以上読み放題! 詳しくはこちらをどうぞ!目指すは「世界一のクランクベイト」。この連載では、ラッキークラフトUSAのルアーデザイナーと、大森貴洋、リック・クラン、スキート・リースら歴代プロスタッフが勝てるルアーを作るために繰り広げた知られざる切磋琢磨の歴史を紹介する。
以下、瀬川さん談。
2005年の天変地異
前回は2005年のある試合でゲーリー・クラインに「B.D.S.、よくできているな」と声をかけられたところまでお伝えしました。その直後、信じられない白羽の矢が私の元に飛んできました。矢を放ったのはバスプロショップス。
「リック・クランのシグネチャークランクを作らないか? バスプロショップス専売のルアーを作りたいんだ」
当時の本当の私はミーハーなリック・クランファンであり、ただのチーム・ダイワオタクでした。そんな私がリック・クランとクランクを作る!? 天地がひっくり返すほどの出来事でした。
今回からしばらくリック・クランとのクランクメイキングについてお話したいと思いますが、ひとつだけことわっておきたいことがあります。リック・クランは今も最前線のファイターアングラーであり、いまだ成長し続けています。ですので、最先端のリック・クランの哲学を現在進行形で具現化しているのはイチカワフィッシングさんです。私がこれからお伝えすることはあくまで当時のリック・クランの哲学であることを、両者へのリスペクトを込めて前置きさせていただきます。
オファーの舞台裏
話を戻して、このオファーの裏側にあったものから説明しましょう。リック・クランは水を読み、季節を読み、魚を読み、そして自然と調和することを何より大事にしていました。そのため座禅を組んだり、瞑想したり、ネイティブアメリカンのスピリッツと感性を学んだりすることをとても大事にしていました。ネイティブアメリカンの血をもつゲーリー・クラインはベストフレンドのひとりだったのです。
リック・クランはどちらかといえば食わず嫌いをするタイプのアングラーですが、ゲーリー・クラインという信じられる友人から「ラッキーのB.D.S.がよかった」という話が入ってきていたのでしょう。そのため自分の理想を形にするメーカーとして私たちのことを指名したのでしょう。
この直前にリック・クランはビル・ノーマンとシグネチャークランクを作っています。ロングリップで溝だらけのボディーが特徴的なモデルでしたが、リック的にはうまく作れなかったのでしょう。勝つためにリクエスト通りのルアーを作ってくれるメーカーを探していたタイミングだったのです。
そして、バスプロショップス側がラッキークラフトUSAというセレクトに賛同してくれた理由はかつてこの連載で紹介した「ライブポインター」にありました。蛇腹構造のジャークベイトで、全米でとてつもなく売れた「間違ったルアー」です(詳細は第11回をお読みください)。
「勝つためのルアー」という我々の本筋からは逸脱してしまったルアーで、大森貴洋さんからは「こんなの作ってちゃダメだよね」と指摘されました。しかし、その売り上げはバスプロショップスに大いに評価されたのです。
それにくわえ、当時全米でラッキークラフトUSAの名前が売れていたことも味方しました。2004年は大森さんがクラシックをB2で勝った年ですし、2005年の開幕戦も大森さんは勝っています。他のプロスタッフのB.A.S.S.ツアーでの活躍も目覚ましいものがありました。
さまざまな追い風が絡みあって、このとんでもないオファーが実現したのです。今振り返っても、私の人生で最高の宝クジがこの依頼だったと思います。
しかしですよ……。
当時の私はまだ20歳台の子どもです。「勝てるルアーを作りたい」という熱い思いこそありましたが、まだまだ無知でしたし、実力もありませんでした。ただ、ここまでお伝えしたような事情から世間的には過大評価され、いわばメタバース的な自分が出来上がっていたのです。オファーを受けたその日から、本当の自分とメタバースの自分とのギャップに悩まされ、その隙間を必死で埋めようともがく苦悩の日々が幕をあけます。B
2004年のある試合で撮影されたリック・クラン。まさかこのあと濃密な付き合いがスタートするとは予想すらしていなかった
◆第1回:すべては衝撃のひと言から始まった。「このルアー、泳いでないね」
◆第2回:勝つためのFAT CB B.D.S.2、アングラーに寄り添うB.D.S.3
◆第3回:プロに使われるルアーの絶対条件
◆第4回:「新しい振動」を探す旅のはじまり
◆第5回:ディープクランクを巡る熾烈 大森貴洋「やっぱりオレはディープはやらない」までの道のり
◆第6回:駆け出しのバスプロに寄り添うスモールクランク乱造時代
◆第7回:1尾への最短距離。“Heart of Young Angler”としてのフラットサイド
◆第8回:スキート・リースのAOYを決めた1尾
◆第9回:ポインター政権の始まりと終わり
◆第10回:ビッグジャークベイトの可能性
◆第11回:邪念と誠意のはざま/ライブポインター
◆第12回:勝てるジャークベイトの方程式
◆第13回:スレンダーポインターには誰にも言っていない秘密がある
◆第14回:ゲーリー・クラインが口にした衝撃の言葉
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