「リック・クランはこのサオですべてのファストムービングをこなす」という話もずっと胸に残っています。ひとつの道具をとことん血肉化し、手に伝わるフィーリングやフッキングの感覚が変わることを避けるその姿勢からはファイターアングラーの鼓動を感じました。ひとつの道具にこだわりをもつリック・クランの精神を学んだエピソードです。このロッドのロールキャストでズバズバとピンスポットを射抜けることが勝つために求められるルアーの第一条件でした。
ライト&タフ7ftグラスコンポジットから学んだこと
瀬川 稔(ラッキークラフトUSA社長)=語り
この記事は『Basser』2023年6月号に掲載したものを再編集しています。Basserのバックナンバーは定期購読をお申し込みいただくとデジタル版バックナンバーが4年分以上読み放題! 詳しくはこちらをどうぞ!目指すは「世界一のクランクベイト」。この連載では、ラッキークラフトUSAのルアーデザイナーと、大森貴洋、リック・クラン、スキート・リースら歴代プロスタッフが勝てるルアーを作るために繰り広げた知られざる切磋琢磨の歴史を紹介する。
以下、瀬川さん談。
1998年、シアトル
リック・クランからオファーをもらったあと、私は世間の評判と実際の自分のギャップを埋めることに必死になりました。当時の私はライブポインターで売り上げをあげたことで評価されていたものの、本当に中身のないルアーデザイナーだったのです。
わたしが真っ先にした作業は、1998年ごろ宮崎友輔さんから教えてもらったリック・クランの話をひとつずつ思い出すことでした。それはまさに「虎の英才教育」(編集部注:大阪で幼少期から阪神タイガースへの愛を叩き込まれること)ならぬ「リック・クランの英才教育」だったのです。
この時期、私は高校を卒業してシアトルに移り住み、加藤誠司さんからの紹介で宮崎友輔さんと出会いました。宮崎さんはシアトルで仕事をしながらアングラーとしての活動をしていて、たしかダイワと契約したてのタイミングだったと思います。
私は宮崎さんに弟子入りし、一緒に釣りに行ったり、自宅で本やビデオ(吉田幸二『バスは理論だ』や道楽『トップはつらいよ』)などを共に見ながら、バスプロのすごさなど本当にいろいろなことを教えてもらいました。
そのとき宮崎さんがかぶっていたのが「TEAM DAIWA」のキャップでした。衝撃的にカッコいいと感じましたね。それが私とチームダイワとの出会いで、家でチームダイワUSAのカタログを読み漁る日々を送っていました。そこに掲載されていたのがデニー・ブラウワーであり、ラリー・ニクソンであり、ジョージ・コクランであり、そして……リック・クランでした。毎日のように宮崎さんにリック・クランのことを教えてもらいました。宮崎さんと釣りに行ってバイブレーションで圧倒的に釣り負けたことがあったんですが、そのとき宮崎さんが使っていたのがチームダイワLTリック・クランモデルの7ftグラスコンポジットでした。「宮崎さんも、このサオもすごすぎる」という驚きが私のリック・クランへの憧れの第一歩でした。
チームダイワLTシリーズ。7ftグラスコンポジットはリック・クランモデルのまさに右腕だった
「リック・クランはこのサオですべてのファストムービングをこなす」という話もずっと胸に残っています。ひとつの道具をとことん血肉化し、手に伝わるフィーリングやフッキングの感覚が変わることを避けるその姿勢からはファイターアングラーの鼓動を感じました。ひとつの道具にこだわりをもつリック・クランの精神を学んだエピソードです。このロッドのロールキャストでズバズバとピンスポットを射抜けることが勝つために求められるルアーの第一条件でした。
私はチームダイワキャップをかぶったリック・クランに憧れ続けていた
満月の夜に寝ない理由
そういった思い出を振り返りながら、私は大森貴洋さんやスキート・リース、ケリー・ジョーダンといったプロスタッフにリック・クランのことを聞きました。これはリック・クランという題材をもとにひとりひとりのアングラーを紐解く作業でもありました。
大森さんはリック・クランと同じくワンタックルにこだわりをもって戦っています。TD-Sのクランキングロッドですべての釣りをしていたのは有名な話ですよね。
また、リック・クランは水を読み季節を知り自然と調和するために上半身裸で釣りをしたり、キャンピングカーにエアコンをつけず、寒いなら寒いなりに、暑いなら暑いなりに過ごしたりしていました。大森さんもそのスピリッツを受け継いでいたことがわかる思い出があります。ある満月の日、大森さんの家に泊まりに行くと、大森さんが夜中になっても寝ないんですよ。「満月の夜バスはエサを食べる。だから僕も寝ずに過ごす」ということでした。翌朝は疲れていて、バスに食い気がないことを身をもって知ることができました。このようにバスの動きを全身全霊で感じていたのがリック・クランであり、大森さんだったのです。
スキート・リースは若いころはヤンチャで中学2年生で退学したあとはアルバイトをしながら釣りを楽しんでいました。そのとき雑誌でリック・クランのことを読み、「釣りで飯が食えるのか!」とプロを志しました。スキート・リースのなかでリック・クランは釣りで生活することを教えてくれた道標であり、「リック・クランの生き様」こそが彼の生きる目標になったのです。
医学部出身で頭脳明晰なケリー・ジョーダンからはリックの戦績を詳しく教えてもらいました。1976年にガンターズビルのクラシックをスピナベで勝った話や、1990年8月にジェームズリバーのクラシックをRC1とRC3によるクランキングで制した話です。
私は宮崎友輔さんからリック・クランの英才教育を受け、「リック・クラン」を体現する大森さんの生活スタイルを知り、そのメンタリティーをスキート・リースに学び、ケリー・ジョーダンから優勝の履歴を教わりました。
そして「RC1と3ってなんだ?」という疑問にぶち当たります。これが重要な話なんですが、それはまた次号でお伝えしようと思います。B
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◆第1回:すべては衝撃のひと言から始まった。「このルアー、泳いでないね」
◆第2回:勝つためのFAT CB B.D.S.2、アングラーに寄り添うB.D.S.3
◆第3回:プロに使われるルアーの絶対条件
◆第4回:「新しい振動」を探す旅のはじまり
◆第5回:ディープクランクを巡る熾烈 大森貴洋「やっぱりオレはディープはやらない」までの道のり
◆第6回:駆け出しのバスプロに寄り添うスモールクランク乱造時代
◆第7回:1尾への最短距離。“Heart of Young Angler”としてのフラットサイド
◆第8回:スキート・リースのAOYを決めた1尾
◆第9回:ポインター政権の始まりと終わり
◆第10回:ビッグジャークベイトの可能性
◆第11回:邪念と誠意のはざま/ライブポインター
◆第12回:勝てるジャークベイトの方程式
◆第13回:スレンダーポインターには誰にも言っていない秘密がある
◆第14回:ゲーリー・クラインが口にした衝撃の言葉
◆第15回:バスプロショップスが放った衝撃の矢
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